インド佛跡巡拝とネパールの旅

平成16年(2004年)2月7日(土)~2月16日(月)10日間
淨教寺寺基定礎400年(開創760年)記念
インド仏跡巡拝とネパールの旅 行程記録 21名参加(女性13名、男性8名)旅行社トラベルサライ
記録者 淨教寺 副住職 島田 春樹

 

1日目 2月7日(土)晴れ (奈良→関西国際空港→バンコク→デリー)

05:00 起床
06:30 淨教寺出発 父に近鉄奈良駅前リムジンバス乗り場まで送ってもらう。
06:40 リムジンバス乗り場で奈良から行く方たちと合流
07:05 リムジンバス出発 住職・若坊守・子供たち・門徒の森さんたちが見送りに来て下さる。
07:10 西名阪が事故で通行止めのため第二阪奈道路に迂回するとのことで関空到着が遅れるとのこと。
08:50 8:25到着予定が25分遅れで到着。
09:00 学園前からの参加者と添乗員のトラベル・サライの諏訪君と合流。手続き
09:30 別室で団結式。副住職挨拶。岡本幸男団長挨拶。添乗員、諏訪君から説明。お土産の紹介。
10:00 出国手続き。(出国者が多く長蛇の列。かなり時間がかかる。)免税店などを見て40番ゲートへ。
10:40 搭乗開始。タイ国際航空623便 11:10発バンコク行き  満席状態  土曜日出発で社員旅行なども多いのかもしれない。(1、次回は出発曜日考えるべし。2、エコノミー席とビジネスクラスの申し込み状況を参加者にお知らせしたほうがよいのかも)
11:23 離陸(朝は快晴だったが、10時ごろから吹雪になって心配していましたが無事に出発しました。)
12:30 機内食(エコノミー席は両窓側3席づつと真ん中4席の一列10席の配置で真ん中はフォークとナイフを使うには狭いなという感じ。しかし、バンコクまで5~6時間だから、機内食の後少し仮眠をして、お茶、お菓子を出してもらってたらあっという間にバンコクという感じでしたから、そんなに苦痛は感じませんでした。)
13:30 仮眠 (16:00まで)
16:00 日本茶と和菓子のサービス(ほっとします。)
17:30 バンコク着陸(バンコクの時間は日本より2時間遅いので15:30です。カッコ内はバンコク時間)約4時間の時間待ち。空港内の免税店の下見(帰りもここで乗り継ぎですから帰りに買う物の下見)や喫茶店、マッサージで時間つぶし。私は添乗員の諏訪君と旅の最終打ち合わせ。
19:30(17:30) バンコクのマッサージをしてもらう。靴を脱いで足を石鹸で洗ってくれて足つぼマッサージ(男性)と同時に頭と肩のマッサージを女性がしてくれました。気持ちよくリラックスできました。ちなみに料金は30分1800円でした。
21:50(19:50) 1番ゲートからバスに乗ってタイ航空315便の航空機の所まで行きます。が、しかし、そこでびっくりしたことはとにかく空港が広い大きい。行けども行けども飛行機の列。どこまで行くのというくらい走ってやっと目的の飛行機に到着。雨の中タラップを上って機内に。(車椅子の人はどうするのかな?)
22:20(20:20)バンコク離陸
24:00(22:00) 機内食(夕食のつもり)ベジタリアンディナー(豆ととうもろこしのカレー、ライス、きのこのおひたし、パン、デザート)目がしばしばして、鼻が詰まる。じっと椅子に座って食べてばかりなのでお腹も張ります。(時差もあり、1バンコクで一泊するか?2、翌日デリーで1泊するか?ゆっくりする計画必要。)
26:00 インド、デリー空港到着。(日本との時差3時間30分なので現地デリーは22:30です。)
27:05(23:35) バスに乗ってデリー空港出発。現地のガイド、ヨゲシ・マダヌさん(男性)の話を聞く。ルンビニまで案内して下さるとのこと。
ヨゲシさんの話
1、 食事は体が慣れるまでは少しずつ食べる。(辛いし油っぽいので注意する)
2、 タンドリーチキン、豆カレー、ナンなど楽しんで味わってほしい。
3、 飲み水はミネラルウォーターを飲む。
4、 お金の単位はルピー。1ドル44ルピー50パイサ。1ルピー約2.5円。チップは自由だがだいたい10から20ルピーが目安。
バスの中で5,000円(2,030ルピー)を両替してもらう。事前にガイドのヨゲシさんが準備してくれていたので、ホテルなどで両替する手間が省けて助かりました。
27:40(24:10) 空港近くのウパルズオーキッドホテルに到着。明日の出発予定確認。部屋割り。注意点(インド国内の飛行機は電池(カメラ・カセット用)の機内持ち込みだ出来ないのでトランクに入れとくこと。)など諏訪君から話。
28:00(24:30) 各部屋へ移動。荷物の整理。
29:20(25:50) 就寝。日本時間で2月8日(日)の午前5時20分ということです。丸々24時間の移動お疲れ様でした。インド時間でも午前1時50分。午前7時モーニングコールの予定です。お休みなさい。(次回は一日デリーの観光等を入れて体を慣らしたほうがいいかもしれない。)

 

2日目 2月8日(日)快晴 (デリー→パトナ→ラージギル)

06:30 起床。
06:45 日本へ電話する。(日本時間午前10時15分。日曜日で子供たちが休みで電話に出てくれる。長男の弘樹は2歳半で事態が理解できず「どこ行ってんの。何してんの。」の繰り返しで困りました。法務は忙しいようで父と院代3人朝早くからお参りに出かけたとのこと。留守中よろしくお願いしますと伝言。)洗顔。トイレ。体操。荷造り。
08:00 トランクを出して、朝食へ。バイキング。(ナン、野菜入りナン、カレースープ、豆カレー、インド風オムレツなど)大変おいしかったです。3日早くデリー入りしておられた小南さんご夫妻と挨拶。
08:45 フロント集合。諏訪君から今日の説明。私から紀行文集の話。参加者の皆さんに1日ずつ担当していただき、旅の思い出を綴ってもらう事にする。担当は次の通りです。1日目と全体を通して副住職の私。2日目 岡本幸男さん、岡本貴美子さん、浅川育代さん。3日目 石牟礼トシ子さん、岡田幸子さん、大西俊行さん。4日目 木村幸生さん、高坂カヅ子さん、地引 露さん。5日目 高嶋和子さん、小島和子さん。6日目 小南光弘さん、小南佳子さん、関 善和さん。7日目 西京恵子さん、坂下節子さん。8日目 清水文枝さん、永井圭子さん。9日目 松田 忍院代、濵川洋志院代。
09:00 ホテル出発。立派なホテルでもう少しゆっくりしたかったです。
09:15 デリー空港着。手続き。持ち物検査のときに蚊取り線香にライターを入れておいたのを忘れていて、引っかかり預ける手続き。その時に航空券を提示してチェックしてもらったのを返してもらうのを忘れて、みんなで時間待ちして話しているときに気づいて、すられたか、落としたかと冷や汗ものでしたがチェックの係官が持っていて何なくを得ました。(急いでいるわけでもないのに何かあせってしまってこういう基本的なミスをしてしまいますから、落ち着いて注意深く行動しないといけないと反省しました。)
10:30 バスで飛行機へ。タラップを上って機内へ。
11:00 10:40離陸予定が20分遅れでインド国内航空(CD―7412便)パトナへ向けて離陸。
11:20 昼食(機内食)カレーチキン、チーズはさみパン、デザート(マンゴープリン)。飛行機を降りてパトナの空港でも昼食の用意があるので少なめにしておく。機内左窓側の方はヒマラヤが遠望できて喜んでおられた。
12:05 パトナ空港到着。空港内のレストランで昼食バイキング。(スープ、ナン、果物をいただく。)

13:15 空港出発。13日のルンビニまでお世話になるバスはなかなか立派なバス(36人乗り?)で、室内もきれいだしシートも座り心地も良く、クーラーもよく効きました。(効きすぎて重ね着しないと寒いくらいでした。)とにかくクラクションを鳴らしっぱなしという感じ。日本でこんなことをしていたらかえって交通マヒ(喧嘩や苦情で)を起こすのではないかと思うほどでした。しかしよくよく見ますと車道と歩道の区別のない道で人が歩き、自転車が走り、輪タクというタクシーや牛が引く荷車や屋根まで人が乗っている乗り合いバスなどがひしめき合って走っている中でこのクラクションによって自分の存在を知らせているからこそ交通事故がないのだということを知りました。街中を外れると一面菜の花畑で緑の中に黄色の花が遥かかなたまで広がるという景色が延々と続く風景は感動です。
14:30 そんな中木陰のある場所でバスは止まりました。そうです。野外トイレタイムです。男性は菜の花を眺めながら用を足し、女性は躊躇しながらも葉陰の中に消えて行き、子供のころを思い出しましたといいながらすっきりした面持ちでバスに戻られました。
16:15 ラージギルの町に入ってきてラトナギリという岩山が見えてきました。
16:30 霊鷲山の麓に到着。土産物の露天が立ち、物売りが早速駆け寄ってまとわりついて「先生、先生」と、巧みな日本語で声をかけて菩提樹の実の数珠を買えとしきりに擦り寄ってくる。12年前に参加の地引さんいわく「この登り道(ビンビサーラロード)も前回は石がごろごろして歩きにくかったけれどもきれいな参道になって歩きやすくなっています。」とのこと。だんだんと登るにつれて周りが一面ジャングルであることがわかる。100年前に大谷探検隊がこの場所を発見したときにはトラが出るような危険なジャングルであったということもよくわかる気がした。途中で息のあがる方もおられて、普段から歩くことが大切と(目標は1日1万歩)教えられました。毎日歩き、月に2~3回「歩こう会」で10㌔くらい歩いてる方はお元気でした。足から弱るといわれますがその通りだと思いました。阿難尊者と舎利弗尊者の瞑想された洞穴をお参りして、いよいよ山頂へ。幅の広い立派な階段が出来て20段ほど登ると頂上は畳20畳位の広さでしょうか。靴を脱いで整理してくれる現地の人がいました。お参りするところはコの字型にレンガが積まれ正面にお花がたくさん供えられ真ん中に香炉がありお線香が焚かれていました。黄色のビニールシートが敷いてあってそこに正座して夕日の今まさに沈もうとする光景を目にしながら皆さんと一緒に「仏説無量寿経、讃仏偈」をお勤めしました。

西に沈むオレンジ色の夕日を見ながら、西方浄土から南無阿弥陀仏となって私を呼び続け働きづめのお慈悲を感無量の思いで受け止めさせていただきました。


お供えをするのにズボンの後ろポケットに入れていた財布がない。どこかでスラれたか?それとも飛行機の座席に置き忘れたか?おなかに巻いていた財布からお供えを取り出して何とかその場を取り繕ったが心ここにあらずで心配ばかりでした。ホテルに入ってよく調べてみるとカメラバックの普段使わないポケットに入っていました。盗られないようにと警戒しすぎてどこに入れたかわからなくなってしまったという基本的な失敗でした。とにかく身に着けてどこに何がということを把握しておくべし。という警告と肝に銘じました。
それはそうとこの場は、私たち浄土真宗の門徒にとりましては所依の根本経典である「仏説無量寿経」が説法された場所であり、また、この場で説法されていた時に王舎城の悲劇で幕をあける「仏説観無量寿経」の王舎城牢獄へビンビサーラ王とイダイケ夫人に向けての説法に赴かれたご縁のある場所でもあります。
名残惜しみながら、日も沈み暗くなると危険だからということでその場を立ちました。帰り道立派な階段ができるまではここから皆さん登って来たんですよ。という阿難尊者の瞑想窟横からよじ登るようにして上がってくる道を教えてもらいました。ここを通ってくるのは大変なことと改めて整備の進んだ道で参詣者皆さんがお参りできたことを有難く思いました。
麓までの道も、土産売りの若者たちがわれわれを囲みしきりに売り込んできましたが、暮れ行くジャングルの草原を見渡しながらよくぞ大谷探検隊がここを発見してくれたことと100年前のご苦労を感謝しつつバスに戻りました。(18:00)
18:10 ラージギル法華ホテル到着。今日は満員で、淨教寺参拝団以外に4団体が宿泊していて、部屋割りに苦労しました。1人部屋希望者もここでは相部屋でお願いしました。ちなみに私は男性6名の相部屋で修学旅行気分を味わいました。12畳くらいの畳の部屋で4.5畳の板の間のある広い部屋で畳部屋というのがなんともよい雰囲気でした。
19:30 夕食 食堂で皆さんと一緒に夕食会。和食(メニュー 天ぷら、茄子の田楽、鶏肉の煮付け、ご飯、味噌汁、漬物)岡本団長の挨拶。乾杯して歓談。今日は院主さんの70歳の誕生日ということで「遥かインドの空からおめでとうございます」の乾杯をもう一度しました。そして、明日朝日本へ電話でそのことを伝えるということになりました。
20:40 お開き。各自部屋に戻り休憩。私は売店でお釈迦様の苦行像と菩提樹の数珠の実を買う。
21:45 大浴場へ。シャワーのお湯が出ず湯船につかるのみ。(この湯船も少しぬるかったけどぜいたくは言わない。)
22:30 マッサージをしてもらう。(30分)足を中心に足裏もしてもらいよく効きました。
23:00 就寝。

 

3日目 2月9日(月)晴れ (ラージギル→ナーランダ大学→ブッダガヤ)

05:00 起床。日本へ電話する。日本時間の午前8時30分。お参りの打ち合わせ中で父が電話口に出てくれたので、「70歳おめでとうございます。」を伝え、昨日の霊鷲山(りょうじゅせん)の夕日のすばらしかったこと、みな元気であることを伝える。父も12年前の光景を思い出して感慨無量の様子。喜んでくれました。松田院代とも話してもらう。荷物整理。
06:50 ホテルの窓からご来光。美しい日の出です。
07:15 朝食。和食(メニュー おかゆ、切干大根、ほうれん草のおひたし、玉子焼き、のり、味噌汁、漬物)おいしかった。
07:40 チェックアウト。
07:50 ホテルの裏庭で「七葉窟(しちようくつ)」のある山を遠望しながら説明を聞く。(お釈迦様涅槃後、説法の確認作業が500人のお弟子たちによってなされた場所。それを第一結集(だいいちけつじゅう)といいます。これが元になってお経が出来ていきます。)
08:00 ホテル出発。
08:10 竹林精舎 到着。沐浴池と竹林を入れて記念写真。ここでも物売りが激しい販売競争を繰り広げてくれました。
08:25 出発。
08:45 ナーランダ仏教大学跡 到着。きれいな参道があり、両脇にはアショーカの木の並木があり、大きな菩提樹の木もあってすばらしい緑が出迎えてくれました。かの玄奘三蔵法師が学ばれた場所です。その参道を通り抜けると、オレンジ色のレンガ造りの遺跡跡が目に入りました。紀元3世紀、5世紀、7世紀と上に増築されていった形跡がレンガのわずかな色の違いや形の違いによって確認されました。僧院跡、講堂跡、食堂跡、瞑想室跡、などを見た後、あの写真で有名な大きなスツウーパ跡を見学しました。12年前はこのスツウーパの上まで登れたそうですが、今は遺跡保存のため登れなくなったそうです。
09:55 出発。
10:10 王舎城牢獄跡 到着。目の前には昨日登った霊鷲山が見えます。この牢獄にビンビサーラ王とイダイケ夫人が幽閉されていたときにお釈迦様が霊鷲山からお説法に出向いてくれたという場所です。この説法が「仏説観無量寿経」になりました。
10:35 王舎城 城壁跡を見学。ここにも先ほどの物売りが出現してしきりに数珠を売り込んでいました。牛の糞を薄い皿状にして岩場に張って乾燥させてました。これが燃料になるそうです。バスの中からも家の塀一面にはり付けてある光景がいたるところで見受けられました。においは臭くて困るということはなかったです。草食だからでしょうか?
10:45 出発。
11:40 トイレ休憩。(野外)
13:00 ブッダガヤ スジャータホテル 到着。昼食(バイキング 各種カレー(豆、野菜、チキン)ナン、焼きそば、果物など)
13:30から14:30 各自部屋で休憩。
14:30 ホテル出発。尼蓮禅河(にれんぜんが)へ出発。尼蓮禅河に架かる橋の上から川を眺める。お釈迦様はこの川で修行で疲れた体を清められ、村娘のスジャータのささげる乳粥によって体力を回復され、菩提樹の下に座られてお悟りを開かれたのです。乾季のため水が非常に少ないが牛が群れをなして水浴びをしている風景がのどかでほっとします。遥か彼方に岩山がそびえて見えるのがお釈迦様がお悟りを開かれる前に修行をしていた前正覚山(ぜんしょうがくざん)でとても形のいい山です。橋を渡って村の中を行くとスツウーパ(スジャータの塔であろうと見られている)が発掘中で小高い山であったのだがレンガのかけらなどが見え隠れしていたそうで掘ってみると大きな塔が出てきている最中で貴重な発掘現場を見ることが出来、また半分は山の状態だったので丘の上まで登ることが出来て最高でした。
15:30 ブッダガヤの大菩提寺の大塔へ参拝。入り口までの参道はたくさんの土産物の露店が所狭しと立ち並び、観光客目当てに物売りがマンツーマンで担当を決めて話しかけてきます。入り口で靴を脱ぎはだしになってお参りします。大塔の入り口は階段を20段くらい下に降りて行きます。これはイスラム教の攻撃から大塔を護るために53メートルある大塔を土で覆いかぶせて護った後、発掘したため現在の地面より入り口が下になったということです。お釈迦様の聖地を護るための先人の考えも及ばない苦労にただただ驚嘆するばかりでした。大塔の後ろ側に回ると大きな菩提樹の木がそびえその下にお悟りを開かれた「金剛法座」があります。しかし、現在は石柱で周囲を囲まれてその上にチベット僧が巻いたであろう仏旗で内部が見えない状態で金剛法座も隙間からかすかに見えるという現状でした。それもオウム真理教の浅原ショウコウがその場に座ってしまったことからこのような状態になってしまったということですから大変残念なことです。石柱の横に仏足石があり、仏像が出来る紀元1,2世紀ごろまではそれをブッダとみて礼拝していたそうです。
菩提樹の木の下、金剛法座横で「重誓偈」をお勤めしました。

多くの人たちが同じ場所でそれぞれに瞑想したり、静かに経典を読んだり、礼拝(五体投地)をされている光景がそこここに見受けられました。チベット仏教の大法要が行われていてスピーカーから大音響で声明が流されていましたがこれもお釈迦様を慕う人々の集いと心強く耳にさせていただきました。大塔をぐるりと回るとアショカ王柱の基底部が残されその奥に蓮の池があり、その中にムチリンダ竜王に抱かれたお釈迦さまの姿が安置されてあります。(お悟りを開かれた後の瞑想中のお釈迦様を竜王が暴風雨から護られたということです。)大塔を背に記念写真を撮り大塔を後にしました。

16:30 日本寺へ参拝。広い境内です。本堂に案内されて皆さんからお預かりした写経をご本尊正面にご安置していただき、写経した「重誓偈」をお勤め。その間に全員焼香させていただきました。このお寺は日本仏教会の各宗派が協力して建てられたもので2年交代で各宗派の若い僧侶が護っておられます。現在は西山浄土宗の僧と真言宗の尼僧が護っておられ、境内地には無料の病院と保育園が併設され地域の人たちに喜ばれているそうです。本堂裏側の施設でお茶をいただき、たまたまインドに来ておられた責任者の東京の西山浄土宗 超長専院ご住職 正本乗光氏よりお話を聞きました。本願寺の光照前ご門主とは全日本保育連盟の関係でお親しくしていただき、また、ご門主とは遠藤義周先生との関係でお付き合いいただいたこと。そして自分の母が九州の浄土真宗本派から嫁いでいることなど。とても親しみを持ってお話くださいました。また、この施設を維持していくには皆さんからの浄財によらなければならないことも力説され支援体制も考えていかなければと思いました。以前宿泊施設として使っておられたという部屋も見せていただき、こういう環境があれば青年たちが心置きなく長期間この仏跡地で勉強できるなと思いました。そういう意味でも多くの若者たちに仏跡を巡ってほしいと思いました。
17:30 スジャヤータホテルに帰り休憩。
18:30 売店にて日本へのお土産を松田院代、濵川院代と検討する。ここのホテルのオーナーはブッダガヤドリームの成功者で日本寺で日本語を学び、菩提樹の実の数珠を売って商売を始め、その後ホテル経営を手がけ現在では、京都三条にインド料理のお店も経営してるというやり手オーナーです。夕食をはさんでいろいろ見せてもらい「初転法輪」の木像と菩提樹の葉に描かれた仏陀の絵を持ち帰りました。また、大塔「金剛法座」横にあった「仏足足」を現地で彫ってもらい船便で送ってもらうことにしました。明朝のベナレス行きの列車の時間が早くなったということで荷物整理に部屋に戻りました。
23:00 就寝。

 

4日目 2月10日(火)晴れ (ブッダガヤ→ベナレス→サールナート)

03:30 起床。
04:00 フロントへ。支払い。紅茶をいただく。
04:20 まだ真っ暗な中ホテル出発。街頭もない真っ暗な道をもう歩いている村人を見かけたがよく真っ暗がりの中を歩けるなと感心しました。
05:00 ガヤの駅に到着。駅裏のフェンスの割れ目をくぐってホームに入るとすごい人。物売り、寝ている人など。インドでは改札はなく列車の中で切符を確認するというやり方のようです。
05:40 列車に乗り込み、席につく。ほぼ時間通りに列車が来るということは稀なようです。座席もばらばらで席の割り振りが大変でした。私と松田院代は結局オーストラリアから夫婦でインドを旅している若者と同じ席になりました。彼らは寝台で寝ていましたが、途中から小南さんのご主人やガイドのヨゲシさんに通訳をしてもらって世界の現状について。宗教のあり方について。など真剣な話し合いができて有意義な時間、出会いが出来たと喜んでいます。
11:00 ベナレス駅到着。駅も工事現場みたいで大変歩きにくい。バスに乗ってホテルへ。バスはブッダガヤーとベナレスの間が渋滞するので昨日の夜から夜中をかけて我々のスーツケースを乗せて走ってきてくれていたのです。ご苦労様です。これは大きい荷物(スーツケースなど)を各自が持たなくてもすみましたので大変助かりました。
11:20 ホテル到着。休憩。
12:30 ホテルのレストランで昼食。(バイキング)
13:40 ホテル出発してサールナートへ。
はじめに迎仏塔へ。ここが一緒に修行をしていた5人の比丘が出迎へてくれた場所である。塔の上には後世八角形の見張り台が出来て、その上まで登らせてもらう。周囲がよく見え、ダメーク塔や寺院の屋根も見えて眺めがよい場所です。ここもやはり物売りが多くここで発掘された石の仏像といって10センチ位のものをしきりに見せに来るが、「管理人に見つかってはマズイから隠れて見せよう」とポケットから新聞紙に包んだ仏像を物陰に隠れては見せてくれた。たぶん最近彫ったものを2~3年土の中に埋めて掘り出したものではないかとも思いましたが記念にとぎりぎりまで交渉して持ち帰りました。そして、サールナート考古博物館を見学。正面を入るとアショーカ王柱の柱頭部分で現在インド政府の紋章となり紙幣の透かしにもなっている四匹の獅子像が美しい輝きを放って安置してあります。四方に向かって獅子吼している姿はお釈迦様のお説法をよく象徴しています。またその隣に赤茶色の約3メートルほどの仏様が安置されその仏様の上に傘がかけられていたという直径2.5メートルほどの大きな石の円盤が展示されていたのにはびっくりしました。いよいよ博物館一番に奥展示してある仏教美術上の最高傑作の一つである「初転法輪像」を拝ませていただきました。本当に美しい自愛に満ちたお姿は何時間でもその場にいたいと思うほどでした。

博物館を後にして、最初の説法地のストウーパ跡を見学。大きな塔であったがイスラム教の破壊や時の要人が煉瓦の必要からその塔から煉瓦を運び地下から仏舎利容器が出てきたがそれとは知らず人骨と思いガンジス川に流してしまったという歴史のある場所で、現在は仏舎利の出てきたところは金箔がお供えされ護られています。その奥にアショーカ王柱の3本に折れた跡が残され鉄柵で囲まれ保存されています。その柱頭がサールナート博物館に展示されていたものです。供養塔の間を通り向け威容を誇るダメーク塔の前に来ますと圧倒される大きさです。高さ約43メートル周囲もかなり大きいものです。塔の下で「讃仏偈」をお勤めして、仏教聖典の「四つの真理」(お釈迦様最初の説法)を皆さんと一緒に朗読しました。

その後、奈良の鹿野苑(ろくやおん)のもとになった鹿のたわむれる公園に行き野菜をあげました。

鹿野苑(ろくやおん)の名の由来は、お釈迦様の前生話(ジャータカ物語)にあります。お釈迦様とお生まれになるまでの前の生にいろんな姿としてお生まれになり功徳を積んだことがジャータカ物語として語り継がれております。そして、隣の初転法輪寺(通称 日本寺)へ参詣いたしました。正面に初転法輪像がご安
置され、堂内の壁面には日本の画家 野生司香雪画伯の手によるお釈迦様のご生涯が描かれています。また、境内にはお釈迦様が5人の比丘に説法される像が設置されてあります。これからはショッピングタイム。最初はさちこさんという日本人の奥様を持たれた方のお土産屋さんでその名も「さちこの部屋、鹿野苑(ろくやおん)ギフトショップ」にて皆さんお買い物。菩提樹の数珠や白檀の彫り物(香盒や仏像、アショカ王柱など)いろんな物があって目移りします。
17:15 それから引き続きサリーの専門店に連れて行ってもらう。サリーだけでなく宝石や石や木の彫刻品などあらゆるものが置いてあります。気に入った色のサリーがあったので日本へ帰ってこれを輪袈裟に仕立ててもらおうと思って購入しました。
18:30 ホテルに帰り、休憩。
19:30 レストランで夕食。(バイキング)ガンジーさんの話などで盛り上がる。
21:30 部屋に帰り休憩。荷物整理。
24:10 就寝。

 

5日目 2月11日(水)晴れ (ベナレス→クシナガラ)

05:00 起床。
05:30 フロントでモーニングコーヒー。聞くところによると昨日の私たちが乗ったガヤからの列車の後の列車(午後2時発くらい)が暴動か何かで途中で止まって8時間遅れでベナレスに着いたとのこと(夕方6時に着く予定が夜中の2時になってしまったとのこと)その列車に九州からの団体が乗っていて大変だったそうです。そういうことがあるんです。インドでは。お疲れ様でした。まだ続きがありまして、ベナレスからバイラワ(ルンビニ近くの町)まで飛行機で移動する予定がその飛行機が飛ばなくなって、ルンビニまでバスで移動することとになったそうで予定が全く変わってしまったとのこと。こんなことがあっておかしくないのがインドの旅ですが、今回の我々の旅は全くといっていいほどハプニングもなく無事に回れたということは当たり前でなくて奇跡的だったのかもしれません。ほぼ順調に回れたことに感謝しなくてはなりません。

05:45 ガンジス河の沐浴風景を見学にホテル出発。バスで船着場(ガート)近くまで行きあとは歩き。そこで物乞いをしながら死を待つ年老いた人々がたくさん道に並んでいる。しかしここは聖なる河。ここで死ねたら本望なのである。今の日本人の何パーセントが命の行く末を考え日々を生きている人がいるであろうか?だからこそ一日がかけがえのない大切な尊いものとして輝いてくるのだろうが。あまりにも平和すぎて豊かさに酔って平和ボケしてしまっているのだ。人身の乱れの著しいものこのことが大きな原因であろう。家庭の宗教教育の崩壊であると同時に我々宗教にかかわるものの責任でもある。

船に乗り、縁(へり)に腰掛けてローソクと花を盛った小さな皿をもらいそれぞれの思いを託しながら河に流すそうです。寺院でのおつとめの鐘が鳴り響き白みかけた川面を二人のこぎ手によって船は進んでいきます。かなり肌寒い日でしたが河につかり沐浴をしています。かなり人数は少ないようです。インド政府衛生局は赤痢菌がかなり繁殖しているので幼児や小さい子供はなるべく河につけないようにと指導しているそうだが効果がないとのこと。それが原因で命を落とす子供もいるそうです。しかし、ヒンズー教徒にとっては聖なる河ガンジスなのです。オレンジ色の美しい日の出。

日が上がるにつれてオレンジ色の光の線が河をキラキラと渡り私の元にいたり届いてきます。またここでも商魂たくましく、舟一杯に土産物を積んで横付けにして売りに来ます。川岸に煙が見え始めるとそこは人生の最後の儀式、火葬場です。大きなまきが所狭しと積み上げられています。煙の周囲には3,4人の人が取り囲み火の番をしています。そこで舟を下りて、牛の糞に気をつけながら狭い迷路のような路地を通り抜け、ヒンズー教の寺院を見学して、輪タク(二人乗りの自転車タクシー)に乗ってバスまで戻りました。
08:15 ホテル帰着。朝食(バイキング)
09:15 ホテル出発。ホテル前で蛇使いを見る。コブラが頭を持ち上げて笛の音に合わせて体を揺らしている実際の場面を始めて見せてもらう。(ビデオで撮っていたらしっかり撮影代を請求された。)
11:10 踏み切りで止まる
11:30 トイレ休憩
13:20 ホテルタターガタにて昼食。(バイキング)
14:20 ホテル出発。
15:30 トイレ休憩。
16:50 トイレ休憩。
17:50 クシナガラ。ロイヤルレジデンシーホテル着。夕方涅槃堂に参詣予定だったが予想外に時間がかかったので明日の朝に回す。今日は一日バス移動に終始しました。12年前はこのホテルが無くて、ゴラクプールという近くの町にマハラジャの大邸宅を改造したホテルに宿泊したそうだが、そのホテルがトイレの水が流れないとか風呂のシャーワーがお湯から水に変わって風を引かれた方や電気も薄暗くて怖かったという話を聞いていましたが今回は快適なホテルが出来て、またテレビもNHKの放送が見れて皆さん喜んでおられました。
18:00 部屋で休憩。NHKのニュース10を見る。
19:00 夕食。厨房まで入れてもらいナンの焼き方の実演を見せてもらう。食事は日本風鍋料理。野菜たっぷりでおいしい。
20:00 通訳のヨゲシさんに注文した紅茶をもらう。売店で数珠を見る。トラベルサライもかかわっているインド福祉社会院の医師を紹介してもらう。ブッダガヤなどは世界からのいろんな援助で福祉医療施設も充実しているが、クシナガラはまだまだそういう施設が少ないというか皆無に等しい状態のため日本の民間協力によって4年前にインド福祉社会院が運営され始めたとのこと。今後の日本の援助をお願いしたいとのことでした。
21:30 部屋で荷物整理。
23:30 就寝。

 

6日目 2月12日(木)晴れ (クシナガラ→スラバスティ)

05:30 起床。
06:15 朝食。
06:55 ホテル出発。
07:05 荼毘塚(お釈迦様の火葬にされた場所。弟子のマハーカッシャパが到着するまで7日間ご遺体に火がつかなかったとのこと)参拝。おつとめ。(成就文)記念写真。朝もやに輝く朝日が美しい。
07:20 最後の説法地参拝。仏教聖典、最後の説法朗読。
07:40 涅槃堂(ニルバーナテンプル)参拝。

堂内の涅槃像の前でおつとめ。(成就文)記念写真。

ここでも子供たちが沙羅の樹の葉や種を売りに来ました。
08:25 スラバスティに向け出発。
09:30 ゴラクプールの町を通過。ラプティという河を渡るが橋の上にパンクをした荷車があって渋滞が激しかった。
10:10 ガソリンスタンドで休憩。ショウガ入りチャイとビスケットをいただくが本場のチャイは本当においしい。またその時バスのドライバーが遅い朝食か早い昼食かわからないが食事をしている場面を見る機会に恵まれた。本当に右手の扱いがうまい。ナンを上手に右手だけでちぎってカレーを包んで口に運んでいく。またご飯にまぶしていただいている姿を見て絶対左手は使わなかったのには感心した。まあそれがインドの人にとっては当たり前なのだろうが。
チャイの作り方
水にチャイ用の紅茶とショウガ(すりおろしたもの、または粉)砂糖を一緒に沸騰させる。ミルクを足して煮込む。(インドではヤギのお乳を使うのでおいしいようだ。日本で牛乳でやってみてもインドと同じ味は出ないそうだ。)茶こしでこして飲む。ダージリンティなどは高級なおいしいお茶なのでそのままお湯で出してレモンかライムを浮かべていただくのがおいしい飲み方だそうです。チャイ用の紅茶がなければティパックの中身を出してたき込んでもらうと一番近い味になるとのことでした。
10:35 出発
11:50 道路を塞ぐ形で大きな街路樹が倒れている。

村の人たちが人力でのこぎりを使って処理している最中で、ここでしばらくバスが通れるようになるまで休憩。外に出て倒木の様子。処理の様子をビデオに撮影する。そうすると村の子供たちが珍しそうに寄ってきて、自分の姿が移っていることに歓声を上げて喜び、友達を呼んできてははしゃぎまわって楽しそうな無邪気な子供たちの姿に触れさせてもらいました。また、バスに近寄ってきた子供たちに小嶋さんがジャンケンを教えてあげると「グー。グー。チョキ。チョキ。パー。パー。」と歓声を上げて一緒になって遊んでくれました。倒木が無ければこんな出会いも無く全く「倒木さん、ありがとう」です。
13:10 通れるようになり出発。
14:30 トイレ休憩。
16:20 ロータスニッコウホテル着。遅い昼食
16:50 ホテル出発
17:00 祇園精舎到着。香堂跡にておつとめ。(仏説阿弥陀経 前半部分)仏教聖典(111頁)朗読。諏訪君から「祇樹給孤独園(ぎじゅっきこどくおん)」祇園精舎の名前の由来についての説明。
17:45 バスでスダッタ長者の邸宅跡。アングリマーラの家跡の見学。
18:10 ホテル帰着。休憩。
19:30 夕食。
21:00 ロビーで語らい。
23:00 部屋へ。荷物整理。
24:30 就寝。

 

7日目 2月13日(金)晴れ (スラバスティ→ルンビニ→カトマンズ)


05:00 起床。
05:45 朝食。
06:35 ホテル出発。(写真 バスの中でガイドのヨゲシさんの話)
07:35 トイレ休憩
09:00 トイレ休憩
09:50 ピプラハワ、カピラ城跡到着。中心のストウーパから仏舎利が出てきて現在はデリー博物館に展示されているが3月からはサールナート博物館で展示されるそうでもう半月遅かったらサールナートで見ることが出来たのに残念でした。
10:15 出発。
11:30 トイレ休憩。
12:00 ネパール国境到着。手続き中バスの中で休憩。
13:40 ルンビニ法華ホテルにて昼食。(和食)天ぷら、おそばがあっておいしかった。
14:30 出発。ここの売店も楽しそうでゆっくり見たかったが時間が無くて残念。ここで一泊してもいいなと思いました。
14:45 お釈迦様ご誕生の地。ルンビニ園到着。ハイビスカスの咲いた参道を通りマーヤ堂のある敷地に入っていきます。12年前は小さいお堂だったそうですが、現在は遺跡を保存する大きな覆い屋が出来て立派な白い建物が出来ています。昨年(2003年)末に出来たばかりとのことでした。建物の横に回るとアショカ王柱がそびえていてその前でおつとめ(讃仏偈)をして、仏教聖典、誕生の場面を朗読しました。

マーヤ堂の中に入り遺跡を見学。台湾の僧侶、尼僧がおつとめをしています。しかしその場所が一番大事なお釈迦様誕生の場面を石に刻んだ石碑と仏舎利が出土した場所で遺跡の上をまたぐ形で橋がかけられてあるその橋の部分でおつとめをされているので私たちは見に行くことも出来ず困っておりました。添乗員の諏訪君もここではおつとめしてはいけないことになっているので私たちも外でしたのにこういうことを許可する案内者がいるので困るんです。という言葉を聞いて、私はこんなことをしていては時間が無い。バイラワまで行って飛行機に乗らなければならないのだから、せっかくここまで来てこんなことで見れないということでは悔いが残ると思って台湾の僧侶のおつとめの中を「すいません」と言いながらかき分けて目的の石碑と仏舎利を見ることが出来ました。他の人たちも私の後についてきてもらって見てもらうことが出来てよかったです。たとえ僧侶とはいえ他の人たちのことも考えて行動してほしいと思いましたし、また逆の立場を私が作ってないかということも考えながら心して行動していかなければと反省させられました。外に出てお釈迦様産湯の池を見てゆっくり写真でも撮ろうとしていたら、諏訪君が飛行機の時間が迫っているので出発しますとのことでバスに戻る。そうすると、カメラ・貴重品を入れていたバックの無いことに気づき、ルンビニ園に取りに戻る。外に置き忘れていたら持ち去られて無いかもしれない。という不安がよぎる中ひょっとしてマーヤ堂の中かもしれないと思い入ってみると入り口の横にありました。よかった。「急(せ)いては事を仕損ずる」要注意。要注意。皆さんにご心配をかけました。
15:40 出発。この空港でガイドのヨゲシさんとはお別れなので、お礼の言葉と寸志を渡す。
16:00 バイラワの空港到着。ブッダ・エアポートという名前の空港で感激しました。また乗る飛行機もブッダ・エアーという航空会社でうれしいことです。手荷物検査。スーツケースを開けて調べられる。
16:40 離陸。飛行機はプロペラジェットで18人乗りのため2班に分かれて乗りましたが快適です。席の左側に座るとヒマラヤが見えることもあるが、今日は夕方ということもあって雲がかかって見えなかった。
17:10 カトマンズ空港着陸。バスはベンツのバスです。

17:30 第2班到着。
17:40 空港出発。ネパールのガイドさんの名前はランジットさん。ネパールルピーはインドルピーの1.6倍。1ドル73.23ルピーとの事。約71ルピーとして計算したらいいとの事。カトマンズの標高は日本の長野県戸隠と同じ約1350メートルだそうです。
18:10 ソルティホリデイインホテル着。きれいな立派なホテルです。ラウンジでウエルカムドリンクのサービス。部屋で休憩。
19:30 夕食。中華レストランで円卓を囲んで歓談。
21:30 みんなでカジノへ行く。10ドルだけ楽しんでみる。
22:30 部屋で荷物整理。
24:00 就寝。

 

8日目 2月14日(土)晴れ (ヒマラヤ遊覧飛行→パタン→カトマンズ市内)

06:00 起床。
07:15 朝食。ソナムさんへ電話して空港で会うことにする。
07:40 ホテル出発。
08:00 カトマンズ空港到着。ヒマラヤ遊覧飛行に出発。これも昨日のブッダ・エアーで18人乗りのため2班に分かれる。なかなかフライト予定の8時40分になっても呼び出しが無いのでみんな心配そうで待つ。
09:40 ようやく呼び出しがあり、先に5名だけが乗り込んで出発。カトマンズ空港はもやがいっぱいで山並みも見えないようなので大丈夫かなと思いながら離陸。しかし飛び立ってみればそんな心配は無用。きれいな山並みが姿を見せ、朝日の輝いて神々しいばかりのヒマラヤ山脈を満喫しました。世界一高いエベレスト山には雲がたなびき絵になる写真が撮れました。

操縦席にも入れてくれて正面から見る景色もすばらしいものでした。
10:30 着陸。ソナムさんに再会。フライトが遅れたので1時間30分ほど待たせてしまって申し訳ない。走行しているうちに2班のグループも戻り、バスに乗って出発。
11:10 古都パタンの町並みを見学。彫刻の美しい窓枠が目に止まる。ゴールデンテンプル。旧王宮広場などの説明を受ける。
12:30 昼食。カトマンズキッチンというところでネパール料理。ソナムさんをみんなに紹介する。
14:00 出発。カトマンズ広場見学。クマリ(生き女神)の家。王宮跡。バザーで買い物。
16:00 目玉寺(スワヤンブナート)参拝。小高い丘にあるのでカトマンズ市内を一望できる。

16:50 ホテル帰着。
17:05 ラウンジでソナムさんと話。(向坊先生と出会うまで。それから現在までの活動。ネパール仏教研究所からカトマンズ本願寺建設までの経緯。現在のネパールの人々の仏教(浄土真宗)の受け入れについて。など)詳細は『平和の鐘をならそう!』向坊弘道著にかかれております。ぜひご購入いただきご一読ください。1冊¥1,000-この本の売上げがネパール、カトマンズ本願寺の建設基金になります。向坊先生ホームページアドレスは、http://www.asahi-net.or.jp/~zi5h-mkib/HOMEP.htmです。)
18:15 ホテル出発
18:30 古都という日本料理のお店に到着。個室に入り、まず岡本団長より淨教寺を代表してソナムさん(カトマンズ本願寺)へ寄付をわたす。

小南さんによる乾杯の音頭。岡本貴美子さんから一人ずつ今回の旅の感想を話してもらう。食事は和食で、揚げたての天ぷら、揚げだし、すき焼き、盛りだくさんでお腹いっぱい。最後にソナムさんより「皆さん、お土産もたくさんになってスーツケースに入りきらないようでしたら不要な服など置いていってください。こちらの方に配らせてもらいます。大変喜ばれますのでお願いします。」とのことでした。
21:00 ホテル帰着。荷物整理。明日ソナムさんに渡す服や使わなかったホッカイロ、お粥のレトルトパックなどを別にして整理する。
25:00 就寝。

 

9日目 2月15日(日)晴れ (カトマンズ→バンコク)

07:00 起床。
07:30 日本へ電話。
08:45 朝食。ソナムさんへ渡す荷物が松田院代の部屋に集められていたのでお願いする。大きなダンボール2箱になるぐらい皆さん出してくださりありがたいことです。
09:00 ホテル出発
09:30 もう一つの目玉寺。ボーダナートテンプル参拝。ここはカトマンズ空港にも近く、今度出来るカトマンズ本願寺の敷地もこの近くにあります。ソナムさんと合流して曼荼羅のお店を紹介してもらう。

六道輪廻の図、お釈迦様のご生涯の図などを買う。
10:40 出発。バスの中でガイドのランジットさんにお礼。
11:00 カトマンズ空港着。ソナムさんと記念写真。

エックス線検査で仏像調べられるが大丈夫。売店で買い物。待合室で休憩。
13:40 飛行機に乗り込む。(タイ国際航空320便)
14:10 離陸。
15:00 機内食で昼食。

17:30 バンコク空港着陸。(バンコク時間18:30)空港内で時間待ち。買い物。マッサージ(30分)してもらいレストランで夕食(タイ風ラーメン、日本のにゅう麺みたいでした)。
22:45 手続き。手荷物検査をしてロビーで待つ。
23:50 5番ゲートよりバスに乗って飛行機まで行きタラップを上って機内へ。
24:20 バンコク空港離陸。(タイ国際航空622便)パイ菓子とジュースをいただき仮眠。

10日目 2月16日(月)晴れ (バンコク→関西国際空港→奈良)
03:30 日本時間の午前5時30分 朝食。(鮭とご飯の日本食)高嶋さんに醤油をもらいそれがおいしかった。やはり日本の調味料がいいです。
07:10 関西空港着陸。通関手続き。別送品の手続き。
07:50 出口で添乗員の諏訪君にお礼を言って解散。リムジンバスに各自乗って学園前行きグループ(関空8:10発)と奈良行きグループ(関空8:40発)に分かれて乗車。
10:00 近鉄奈良駅着。院主さん、宮崎院代、若坊守、弘樹が出迎えてくれて無事奈良に帰りました。
10:10 淨教寺帰着。母も元気に出迎えてくれ、ご本堂で阿弥陀様に帰国報告。全員無事で尊い旅をさせて頂き本当にありがとうございました。

 

以上

2004年2月7日~16日 未分類

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