ご本尊

本堂内部

浄土真宗の本堂は「念仏の道場」と呼ばれ、おつとめをはじめ、聴聞の場としてその役割の多くを担っております。
法要はもちろん、お寺の各種行事、葬儀、法事と幅広く使用させて頂いております。

本尊としては阿弥陀如来をご安置しているほか、境内には本堂以外にも鐘楼、納骨堂、書院など複数の建築が建っています。
なお、古い本堂は1936年(昭和11年)に火災で焼失してしまい、
現在の本堂はその後、奈良県技師・岸熊吉氏の設計により再建されたものであり歴史は古くありませんが、
三条通りに面する「山門」は江戸時代末期の建築であり、明治時代の掲示板舎とともに国の登録有形文化財に指定されています。

歴史

本堂内部

浄土真宗本願寺派 淨教寺は寛元二年(1244)、行延法師によって開基され、今日に至っております。
行延法師(1206-1280)は、河内国八尾の庄司真野行延(まの ゆきのぶ)といい、智勇兼備の武士であったが、
浄土真宗、開祖親鸞聖人の直弟子となり、寛元二年三月出家して、法名を行延(ぎょうえん)と賜う、と淨教寺由緒略記に記されている。
平成6年10月には、西本願寺前門主大谷光照猊下を迎えて開創750年の大法要を嚴修した。参詣者はのべ3000名を超えた。

「由緒記」から

淨教寺は当地に寺基を定めて、ことし(2017)で414年となる。

フェノロサ博士

明治21年6月5日、アーネスト・F・フェノロサ博士が淨教寺本堂で知事並びに市民へ「奈良の諸君に告ぐ」と題して、
文化財保護の重要性を訴える意義ある講演を行った。
昭和25年から昭和55年まで、30年間稲垣瑞剱(いながき ずいけん)法師(昭56・1・13寂、享年97才)が
伝道活動を集中的に行って下さったこと等、特筆すべきことが多くある。
以来代々熱心な布教活動が行われて今日に至っている。

 

住職ごあいさつ

第26世住職 法灯継承 御挨拶

謹 啓

慈光照護のもと、みなさまにおかれましては、ますますご清栄にお過ごしのことと拝察申し上げます。
日頃は、淨教寺の護持・発展にご尽力、ご協力いただきましてありがとうございます。

この度、第二十六世住職のご推挙を頂き、2008年(平成20年)11月8日に継職奉告法要を勤めさせていただきました。
25世住職の得度五十年、住職三十年の伝道活動は、戦後復興、経済成長という
目まぐるしい社会変動の中での大変なご苦労、御活躍でありました。

その中、昭和六十二年新潟県長岡市、明鏡寺より入寺させていただき二十三年になります。
浄土真宗寺院としてはめずらしい開創七百六十五年、親鸞聖人七十一歳ころの直弟の行延法師を初代とし、
法灯は連綿として伝えられ、教化活動の中心として常に宗門の先頭に立ち、
真宗繁盛、お念仏相続に尽力しているお寺でございます。
改めてこのような尊いお寺にご縁がございました事を深く感謝させていただくことでございます。

この度の、第26世への法灯継承は浅学非才の若輩である私には
実に責任重大なることと身の引き締まる思いでございます。
この上は、何とぞ、仏祖のご冥護、第25世住職のご指導を頂きつつ、
門信徒のみなさまの、より一層のご協力、ご鞭撻をたまわりまして、
淨教寺のお念仏繁盛、御法義相続のために、深く自らの身を慎み、
精進努力致す所存でございますので、よろしくお願い申し上げます。

昨今の世の中の状況を、「み仏様との日暮しを―キリスト教から浄土真宗へ」の著者 河村とし子さんは、
「イ・ク・コ・ブ・ネ」と表現されました。
すなわち、イはイライラ。クはクヨクヨ。コはコセコセ。ブはブリブリ。ネはネチネチ。
まったく、上手く的確に言い表しておられると感心いたします。

これは家庭教育イコール宗教教育
お釈迦さま在世の二千五百年前。親鸞聖人在世の八百年前。
その当時から想像も出来ない文明の発達を遂げているにもかかわらず、
人々の心の様子は、発達するどころか逆に後退し、衰退の一途をたどっているようです。

今こそ、徳育の中心として、仏教教育が各家庭の中で
見直されていかなければならない重要な時期にきています。
河村とし子さんは、姑である母の姿を「オ・ア・シ・ス」のお方であったと、
念仏に生きられた姿を感動を持って書いておられます。

オは、おかげさま。アは、ありがとうございます。シは、しあわせでございます。スは、すみません。
この「オアシス」のことばは、自らの生きる力となり、他の生きる力となります。
そして、自らを生かしていく力となり、他を生かしていく力となります。

皆様とともにこの言葉を合言葉に、浄土真宗・法雷轍の流れを中心に置き、
仏法の道を一歩一歩確実に歩まさせていただきたいと決意を新たにいたしております。
今後とも、まだまだ未熟でいたらぬ若輩者ではありますが、みなさまのご指導、ご鞭撻をたまわりまして精進し、
淨教寺の寺門の発展に、有縁の方々への幸せの泉となりますよう尽力する覚悟でございますので、
よろしくお願い申し上げましてご挨拶とさせていただきます。

平成二十年(二〇〇八)11月8日
淨教寺 第26世 住職 島田 春樹

前住職ごあいさつ

いま、わたくしたちの教団(浄土真宗本願寺派)では
「拓(ひら)く伝道・報謝行」をスローガンにかかげ、新しい活動態勢に入っております。
従来、旧(ふる)い伝統的教団は、地域の人々、となりの人へも、宗派のちがいから伝道することに躊躇していました。
ここでは、あらゆる人々に門戸を拡げ、広報活動ができます。
また、当山では、その目的の一つに、20世紀に出られた偉大な仏法者(大学者であり、妙好人)ともいうべき
稲垣瑞剱法師(1885-1980)の文言を少しづつお伝えしていきたい所存であります。

どうか、末永く交流をお願いいたします。簡単ですが、一言御挨拶申し上げます。
合掌

淨教寺 前住職 島田和麿

瑞剱師の遺芳

稲垣瑞劔(最三)師略歴

明治18年(1885)10月5日生(姫路市)
~昭和56年(1981)1月13日寂(神戸市)行年97歳

関西学院高等部卒、主に本願寺関係学校成徳学園校長、
理事長として教職に就かれて52年余、幼少の頃から学問にはげまれ漢籍、
英文学、仏教学、東西の哲学のほか、
とくに教行信証を中心とした真宗学や安心(あんじん)について、
その深奥をきわめ、著述に伝道にその生涯を捧げられた。
主な著書に「教行信証大系」全7巻、「真宗玄義」、
「死の解決」2巻、「世界の光・釈尊伝(英文)」、
「英文歎異抄」、「安心の極意」全10巻ほか。

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