報恩講の歌
作詩 黒瀬 智円 作曲 野村 成仁
1、和歌の浦曲(うらわ)の 片男波(かたおなみ)の
よせかけよせかけ 帰るごとく
われ世に繁く 通いきたり
みほとけの慈悲 つたえなまし
2、一人いてしも 喜びなば
二人と思え 二人にして
喜ぶおりは 三人(みたり)なるぞ
その一人こそ 親鸞なれ
3、なごりのみ言(こと) さやかにして
み名よぶ声を 慕いきまし
法のつどい み座ごとには
み影をうつし 臨みたもう
(4番5番省略)
このうたは、下記に示した『御臨末の御書』をもとに書かれています。
『御臨末の御書』とは、
我が歳(とし)きはまりて、安養浄土に還帰(げんき)すといふとも、
和歌の浦曲(うらわ)の片男浪(かたおなみ)の、
寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ、
一人居て喜ばは二人と思ふべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり。
我なくも法(のり)は尽きまじ和歌の浦 あをくさ人のあらんかぎりは
弘長二歳十一月 愚禿 親鸞 満九十歳
とあります。
「私、親鸞も年を経て、90歳となりました。お浄土に往生いたしましても
和歌山の片男波海岸に打ち寄せる波のように またこの娑婆世界に帰ってまいります。
一人で阿弥陀さまの慈悲を喜んでおられる方は二人と思っていただきたい。二人で喜んでおられる方は三人と思っていただきたい。その一人とは私親鸞であると思って下さい。
私親鸞がこの世を去っても、仏法は永久に尽きることがありません。生きとし生けるものがいる限り、仏法はつきることはありません。」
このような力強い言葉を残して、親鸞聖人は90年のご生涯を閉じられました。
報恩講の歌を口ずさみながら、親鸞聖人のご恩をお偲びしたいと思います。
聖 夜
作詩 九条 武子 作曲 中山 晋平
1、星の夜空の うつくしさ
たれかは知るや 天(あめ)のなぞ
無数のひとみ 輝けば
歓喜(かんぎ)になごむ わがこころ
2、ガンジス河の 真砂より
あまたおわする ほとけたち
夜ひるつねに まもらすと
きくに和める わがこころ
満天の夜空に輝く星の何と美しいことよ
誰が知るであろうか?大宇宙の不可思議な有様を
輝き瞬く、数えきれない多くの星々は、み仏さまのまなざしと思えます
み仏さまが見て下さっていると思うと私の心は喜びいっぱいで安らかになります。インドの大河ガンジス その岸辺の数えきれないくらいこまかい砂の数よりも
多く たくさんおられる み仏さまたちが
夜であろうと昼であろうと どこにおろうとも 常に護っておられることを
聞かせていただくと 私の心は おだやかになごみます。
高原の夜空の美しさ、満天の星空の輝き、手に取れそうに間近に見える星の瞬きを経験された方もおられるでしょう。
この詩を書かれた、九条武子さまは、本願寺第21代門主明如上人の次女として明治20年に生まれ、義姉大谷壽子(かずこ)裏方(大谷光瑞夫人)を助けて仏教婦人会を創設し、仏教理念に基づく京都女子学園を設立するなど様々な事業を推進されました。大正12年9月1日の関東大震災では築地別院を中心にご自身も負傷されながら懸命の救援活動をされました。その救援の苦労から敗血症になり昭和3年2月7日42歳でご往生されました。この聖夜は昭和2年7月に出版された『無憂華(むゆうげ)』の中に収められています。
ゆっくりと夜空の星をながめながら聖夜を口ずさんで見てはいかがでしょうか?
また、童謡詩人の金子みすずさんは「星とたんぽぽ」の中で
青いお空のそこふかく、海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(後略)
と、詠っています。明治36年生まれのみすずさんは九条武子さまのご活躍の感化を受け同じ心情をあじわっておられたのではないでしょうか?