流れる水のごとし

ひまらやの 雪とけおちて 流るなり
不断に汲みて 恩を報ぜん
(瑞劔 法雷カレンダー平成21年1月)

ヒマラヤ山脈の南麓、インドと接するネパールの国境沿いにカピラヴァストゥという国がありました。その国の王子としてお釈迦さまは今から約2500年前にお生まれになり、出家・ご修行され、35歳でお悟りを開かれ、80歳で亡くなられるまで、北インドを中心に伝道されました。

ヒマラヤとは古代サンスクリット語のヒマー(雪)とアラーヤ(住居・蔵)の結合語と言われ「雪の住居・雪を貯めた蔵」という意味があります。
このヒマラヤの雪をお釈迦さまのお悟りの教えにたとえておられます。汲めども尽きることのない教えの深さ、尊さを「流る」と表現されています。
その教えに常に触れ、学び続けることの大切さ、また、人間に生まれ、この仏教(仏の教え)に出会えたことのご恩に感謝しなければもったいないことであるということを、このうたで語られているのです。

お釈迦さまの言葉に

「私のはなしは、流れる水のようなもの、
誰が飲んでもよい、誰が聞いてもよい。」

「私は、人々からおろかな迷いや、苦しみを取り除こうとしている。
そして、人々を仏とよばれる、限りなく賢く、清らかな境地に導きたいと願っている。
それは、難しいことだ。長い辛抱のいることだ。だからこそ、明日といわず、今日すぐ始めなければならぬ。出来ることから手を付けていかなければならぬ。
私は、今日、おまえたちを一つだけ賢くしてやりたい。おろかなことを一つだけ止めさせてやりたい。」

「人は生まれによって尊いのではない。その行いによって尊いのだ。」

「私は、人々のこころにたまった汚れを取り除くという仕事をしているのだ。」

このような尊い言葉がいくつもあります。
新年にあたり、日々味わい、念じ続けることばを各人が持ち続けていただきたいと思います。

2009年01月01日 法話
pagetop