住職継職奉告法要 ご挨拶
第二十五世 前住職 島田和麿
本日は何かと御多用の中おくり合せご出席下さいまして、まことにありがとうございます。
この法要に際し、各位には御多端の砌 過分の御懇念をお運び下さいまして、厚く御礼を申し上げます。おかげさまで本堂内陣ほか外陣、御簾、幔幕、畳また新住職の冬・夏の 法衣一式などお整えいただきました。そして、この法要を營むことができたのでございます。感謝の極みでございます。
昭和五十三年十一月、先代より住職を拝命しまして三十年、父の意向を鑑み、若院主に次代を背負っていただくことにいたしました。
新住職春樹氏は昭和六十二年、新潟・明鏡寺から當山に入寺、早や二十二年目を迎えます。
大学につづき、教学(きょうがく)、声明(しょうみょう)の研鑽を積み、高度の品格を備え今日を迎えました。
誠実を本とし、伝統とみ法(のり)を大切にしていくものと確信しております。
今後とも、なにとぞ宜しくご支持とご参加をお願いいたしたく存じます。
住職継職とは法燈の継承でもございます。
住職は、日常みなさまとの交流、法要、各種研修会にいそしんでおります。
就中(なかんずく)、大切なことは宗祖親鸞聖人のご生涯とおさとしのことばの理解、どこに注目するかにかなめがございます。
その意味で、住職は「月を指すゆび」であると申してもよろしいでしょうか、大変重要な意義と責任をもっております。
その点、難解のご本典「教行信證」を九十年の生涯をかけ、広く深く正しく研鑽された明師、瑞劔先生にお出会いでき、ご指導いただきましたことは弘誓の強縁と、深く感佩するところでございます。
このたびの法要記念として恩師の「大信海」を謹呈する由縁を申し述べました。なにとぞ、ご精読を切望いたします。
不肖、よわいは重ねましたが、浅学不徳の身にしてみなさまのご期待に添えなかったことが多々にあったと存じます。深く慚愧するところでございます。
今後はいよいよみ教えにしたしみ、みなさまとの交流も密にし、み法(のり)のため世のために精進して参る所存でございます。どうか宜しくお願い申し上げます。
永年の御厚誼、御支援に深く感謝の意を表し、粗辞ながらご挨拶とさせていただきます。
平成二十年十一月八日
合掌
淨教寺 第25世 前住職 表白文
敬って大慈大悲の阿弥陀如来・人界教主釈迦牟尼佛
浄土真宗親鸞聖人、當山歴世住職、門信徒
ならびに十方三世一切の三宝に申してもうさく
本日ここに法中、有縁参集の門信徒と共に
うやうやしく尊前を荘厳し
住職継職)奉告法要を勤修したてまつる
如来の教説は普遍の真理にして
弥陀の誓願(せいがん)は永劫(ようごう)の真実なり
不肖(ふしょう)、當山(とうざん)に生を享(う)け僧侶に列(れっ)し、五十三年をかぞう。
二歳にして本堂の炎上、(昭和十一年一月)時またず日支(にっし)事変(じへん)、第二次世界大戦に突入、幼少の頃より物資、工事従事者、財政の困窮の中、この本堂の再建を見る。
先住の苦澁(くじゅう)、檀信徒の尽力、絶大なるものあり。
この激動期の聖堂(せいどう)の完成は またく末代の不思議というべきか
父母(ちちはは)は佛祖・門信徒の鴻(こう)恩(おん)に報いるは、ただ聞法(もんぼう)にありと、常にご法義を中心に我らを導きたまいき。
その恩海の中に 今日を迎う。
わけても、青年期に稀代(まれなる)の明師瑞劔(ずいけん)法師(ほっし)とのめぐりあいは無上の幸慶(こうけい)なり。
先代七十歳にして住職を退く、時を経ること三十年
父の意向を享けここに法燈継承式を挙ぐ。
浅学不徳の身を以って、今日まで無事當山を
護(まも)れしは、ひとえに佛祖、先師、門信徒各位の
甚深の懇念のたまものと深く感泣するところなり。
次代二十六世も法雷の流れを受け、学徳に励むと宣誓す。
之にまさるよろこびなし。
願くは門信徒各位、當山の伝統に依持し、
新住職を支え、護法愛山の念強くし、いよいよ
宗祖の「世の中安(あん)穏(のん)なれ 佛法弘(ひろ)まれかし」
のみ心に添い 日々精進せられんことを希う。
小衲(しょうのう) 住職の任を退(ひ)くといえどもいよいよ法味愛楽の道に精(いそし)むことを誓いたてまつる。
伏(ふ)して請(こ)う
如来・三宝(さんぼう) 大悲を垂(た)れ、哀愍(あいみん)照護(しょうご)したまへ。
平成二十年十一月八日
浄土真宗本願寺派 九条山 淨教寺
釋 和麿
淨教寺 第二十六世 住職継職奉告法要 表白文
敬って大慈大悲の阿弥陀如来の御前に申し上げます。
本日ここに浄土真宗の末学 釋 春樹(しゅんじゅ)
当 九条山 淨教寺 第二十六代住職の継職奉告法要にあたり恭(うやうや)しく仏前を荘厳し 懇ろに経典を読誦して当山 門信徒と有縁の法中方のご臨席のもと仏祖の御前に 住職継職の決意を申し述べます。
思えば 阿弥陀如来は 流転の凡夫を憐れみ本願の名号である南無阿弥陀仏を成就して
「汝(なんじ) 一心(いっしん) 正念(しょうねん)にして 直ちに来れ われ よく汝を護らん」、「どうぞ、お願いだから、私にあなたをたすけさせておくれ。」と、喚び給い
釈迦如来は『仏説無量壽経』を説いてすべての人に 本願の大道を お勧めになりました
龍樹(りゅうじゅ)菩薩、天親(てんじん)菩薩、曇鸞(どんらん)大師、道綽(どうしゃく)禅師、善導(ぜんどう)大師、源信(げんしん)和尚、法然(ほうねん)上人の七高僧は、インド、中国、日本にお出ましくだされ、仏の正しきこころを顕彰し宗祖 親鸞聖人は 仏祖のみ心を受け継いで本願力回向の法義を明らかにして 浄土真宗を顕示されました。
顧みますれば 当山に 浄土真宗の法灯が掲げられてより、七百六十五年の間 歴代の住職は宗祖親鸞聖人の教えを仰いで 怠ることなく み教えの弘通に専念し門信徒、お同行もよく 住職の心を汲み ともに協力してご法義の相続と繁昌に努めてきました
中でも 第二十五世前住職の師匠である護城院(ごじょういん)釋瑞剱(しゃくずいけん)法師(ほっし)は稀に見る 大学者にして仏教・浄土真宗、世界宗教、世界の哲学・文学を網羅された上で本願一実の大道である 浄土真実の道を鮮明にされ現代のわれわれに 九十七年の生涯を通してお念仏のこころを お示しくださいました。
その法雷轍(ほうらいてつ)の流れをくむ この聖域(せいいき)に ご縁をいただいたことは宿縁としか言いようがありません
このような先人の努力によって 当山は聞法の道場としていよいよ発展してまいりました。これもひとえに 仏祖のおかげであります
仏法が雷の如く われわれの煩悩をくだき
稲光が われわれの 身心を照らしだして下さるがごとく
この法雷の流れを 門信徒、有縁の方々と味わい お伝えすることが
私の使命であります。
わたくしは はなはだ浅学非才にして その力は十分ではありませんが
仏祖のご加護を仰ぎつつ 歴代住職の足跡(そくせき)をたどり門信徒、有縁の方々のご助力を得てみ法の灯を絶やさぬように ひたすら努め自信教人信の 歩みを重ねることを
平成二十年 十一月八日
仏祖、宗祖の遺弟 淨教寺第二十六世釋 春樹
謹んで申し上げます。
淨教寺 新住職 継職奉告法要 お礼の言葉
本日は、淨教寺第二十六世住職継職奉告法要ならびに諸行事にご参詣いただきまして心より厚く御礼申し上げます。ありがとうございます。
本日ここに、かくも盛大に有縁の諸大寺院のご法中、ご来賓、親族、法友、門信徒の方々にご参集いただくことが出来ましたのも、当寺淨教寺歴代のご住職をはじめ、先人の 方々のたゆまなき仏法弘通のご尽力のたまものと深くそのご恩に敬意を表させていただきたいと思います。
また、皆さまからご丁寧なるご懇志、心温まるお祝いの言葉を頂戴いたしまして、重ねて深く御礼申し上げます。
昨今の世の中の状況を、「み仏様との日暮しを―キリスト教から浄土真宗へ」の著者 河村とし子さんは、「イ・ク・コ・ブ・ネ」と表現されました。
すなわち、イはイライラ。クはクヨクヨ。コはコセコセ。ブはブリブリ。ネはネチネチ。
まったく、上手く的確に言い表しておられると感心いたします。
これは家庭教育イコール宗教教育。
お釈迦さま在世の二千五百年前。親鸞聖人在世の八百年前。その当時から想像も出来ない文明の発達を遂げているにもかかわらず、人々の心の様子は、発達するどころか逆に
後退し、衰退の一途をたどっているようです。
今こそ、徳育の中心として、仏教教育が各家庭の中で見直されていかなければならない重要な時期にきています。
河村とし子さんは、姑である母の姿を「オ・ア・シ・ス」のお方であったと、念仏に生きられた姿を感動を持って書いておられます。
オは、おかげさま。アは、ありがとうございます。シは、しあわせでございます。スは、すみません。
この「オアシス」のことばは、自らの生きる力となり、他の生きる力となります。そして、自らを生かしていく力となり、他を生かしていく力となります。
皆様とともにこの言葉を合言葉に、浄土真宗・法雷轍の流れを中心に置き、仏法の道を一歩一歩確実に歩まさせていただきたいと決意を新たにいたしております。
今後とも、まだまだ未熟でいたらぬ若輩者ではありますが、みなさまのご指導、ご鞭撻をたまわりまして精進し、淨教寺の寺門の発展に、有縁の方々への幸せの泉となります よう尽力する覚悟でございますので、よろしくお願い申し上げまして、お礼の言葉とさせていただきます。
平成二十年(二〇〇八)十一月八日
淨教寺 第二十六世 住職 島田 春樹
淨教寺 壇信徒・有縁のみなさま
法要の様子は「行事の報告」ページをご覧下さい。