本年11月8日(土)に淨教寺の住職を第25世より第26世へと継職いたします。
法灯継承とも呼ばれます。この住職継職奉告法要を機会に皆様のご家庭でも、我が家の法灯継承はどうか?ということを確認いただけたらと思います。
法灯とは、法の灯。法とはお釈迦さまの教え、それが私たちの前に、浄土真宗として、親鸞聖人のことば、教えとして現われ出ているものです。
その教えが、灯となる。灯とは、真っ暗闇を照らす大切なものです。停電して、明かりがなかったら、真っ暗な中では、私たちは何も見ることができません。
私たちの人生も生きる指針がなかったらどこに行くかわかりません。
糸の切れた風船のようなものです。行き当たりばったりのその時さえ良かったらいいという自分勝手な生き方になってしまいます。
そんな私たちに、人生の生きる道筋を照らし、方向性を示してくれる大切なものです。それが教えです。法灯継承とは、その大切な灯(教え)を継承していくのです。
ですから、私たち一人一人になくてはならない大切なものなのです。
しかし、そう思っていてくれる人はごくわずかなのではないでしょうか?
お寺は、先祖を偲ぶところ。私自身は関係ない。ご先祖にさえ手を合わせていたらそれでいいと考えている方が多いのではないでしょうか?
先祖を偲ぶことは大切なことです。しかし、この今先祖を偲んでいる私もいつかは偲ばれていく立場になるということです。
その私が本当に偲ばれていくにふさわしい身として、人生を全うじたか?ということが大きな問題です。
そこに親鸞聖人の願いも、お釈迦さまの願いもあるのだと思います。
その願いとは、「お浄土に生まれ、仏の悟りを開き(大慈悲の完成)、衆生済度の大活動をしてほしい。」というものです。
私たちは、生きることに精一杯で、楽しむことに時間を費やし、本当の喜びを知らないまま過ごしているのではないでしょうか?
人間に生まれること。また、その人間に生まれた意義を問い直してくれるお釈迦さまの教え、すなわち仏教に出遇うことの難しさを私たちは余り深く考えたことがないのでは
ないでしょうか?
人生80年として、その約3分の一は寝ています。おおよそ26年間です。後の残りの54年間で何をしているかということです。
教えに出会い、教えを聞いて行く時間がはたしてどれだけあるでしょうか?
そういうことを今一度、考え、見つめ直していただきたいと思います。そのことの大切さを身をもって感じ、次代に示していくことが法灯継承ということではないでしょうか。
各ご家庭でも、出来ることからなさって下さい。
*具体的な継承
ご檀家の各ご家庭でも、この住職継職奉告法要を機会に、自分たちも親から何を継承し、次代に何を残していくかということをお考えいただければ幸いです。
*姿を見せ、話しを聞かせ、こころに感じさせていく。
①姿を見せる。
子供は、親の後ろ姿を見て育つと言われますが、姿を見せるということは大切なことです。言葉で言うよりも効果があるでしょう。
1、朝、晩のお仏壇への礼拝。
2、お仏飯を供え、お勤めをする姿を見せ、お勤めの声を聞かせる。
3、お墓参り。ご本山参り。
4、お寺へ参る。いろんな行事に参加する。一緒に連れて行ってあげる。
5、子ども会、婦人会、門信徒会等各世代に沿ったご縁を大切にする。
②話を聞かせる。
1、仏典童話を読み聞かせる。
2、お寺で聴聞したことを、聞かせる。
3、一緒に聴聞の場に連れて行って聞かせる。
③こころに響く感性
1、仏さまのやさしいお顔、姿を見せる。
2、仏さまのお姿の意味を伝える。
3、知らされ、気づかされていくという謙虚な態度を育てていく。
このような取り組みが、日本人の仏教徒としての気品高い感性を磨き、外国の方からも高い評価を受けてきた根底にあるのだと思います。
現在はあまりにもそれが欠落してしまい、毎日、目を覆いたくなるような事件や事故がたくさんあり過ぎます。またそれも、人間の偽らざる姿として自分への慢心、傲慢さへの警鐘として受け止めさせていただくべきでしょう。
しかし、その方向性を正しい道へと方向転換してくれるものが、お釈迦さまの教えであり、親鸞聖人の教えなのです。
だからこそ毎日の仏縁が大事なのです。たとえ1分の短い時間でもいいですから。日々のお参りを大切にして「朝のお礼をしたか?」(朝のお仏壇へのお参りをしたか?)の一言から始まる家庭でありたいものです。