居多ヶ浜(親鸞聖人ご流罪の地)

承元の法難の後、35歳にして京都を離れ、越後の地、居多ヶ浜に流罪された親鸞聖人の見たものは、海でした。42歳で関東に向われるまで7年間日本海の四季折々の穏やかな海、荒れる海を見ながら、阿弥陀さまの底知れない深き慈悲の世界を「海」と表現され、また、私たちの底知れない迷いの煩悩の世界をも「海」と表現されていかれました。

『教行信証』『ご和讃』を調べますと、たくさん「海」という言葉が使われています。下記の『教行信証』総序の御文を始めにして

1、ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無礙の光明は無明の闇を破する恵日なり。
2、徳海 3、真如一実の功徳宝海 4、弥陀の智願海は、深広にして涯底なし(大経引用) 5、三昧海 6、慈悲海 7、誓願海
8、智慧海 9、法門海 10、仏法衆徳海 11、大宝海 12、十方群生海 13、光明の広海 14、(本願・弘誓)一乗海

15、「海」といふは、久遠よりこのかた、凡聖所修の雑修雑善の川水を転じ、逆謗闡提恒沙無明の海水を転じて、本願大悲智慧真実恒沙万徳の大宝海水となる。これを海のごときに喩ふるなり。まことに知んぬ、経に説きて「煩悩の氷解けて功徳の水となる」とのたまへるがごとし。(意味:「海」 というのは、 はかり知れない昔からこれまで、 凡夫や聖者の修めたさまざまな自力の善や、 五逆・謗法・一闡提などの限りない煩悩の水が転じられて、 本願の慈悲と智慧との限りない功徳の海水となることである。 これを海のようであるとたとえる。 これによってまことに知ることができた。 経に 「煩悩の氷が解けて功徳の水となる」 と説かれている通りである。)

16、愚痴海 17、真如海 18、衆水、海に入りて一味なるがごとし
19、生死海 20、衆生海 21、一切群生海、無明海 22、諸有海
23、煩悩海 24、大信心海 25、大信海 26、愛欲の広海
27、利他の信海 28、四海のうちみな兄弟

など、数えればきりがありません。

それほどまでに、海のはたらきを感動をもって見ていられたのでしょう。

海の水が、太陽に熱せられ、水蒸気となって大気となります。その大気が雲となって、山にひとしずくの雨となって降り、それがやがて大きな川の流れとなってまた海に流れ込みます。そのひとしずくの雨が、川の流れの中でどんなに濁り、汚れようとも、海は拒否することなく受け入れ、一味の塩味にして大きな海の流れにとろけ込ませてくれます。

底知れない悩み、迷い、罪業を抱えている人間(群生海・煩悩海)を救うものは、底知れない深い、深いお慈悲をもった教え・阿弥陀さま(本願海・智慧海)でなければならないのです。群生海を包み、そして転換するはたらきそのものが、本願海であるということです。二つの海があるのではありません。
瑞剱先生のおうたに「念仏の堪忍袋なかりせば、何にかは入れん、癇癪の虫」とあります。親鸞聖人の「海」の解釈とともに、私たちの日々の生活の中で味って行きたい尊いおうたです。

2017年10月01日 法話
pagetop