仏教讃歌・宗祖降誕会

 

仏教讃歌:宗祖降誕会

1、闇(やみ)に迷う われひとの
生(い)くる道は ひらけたり
無漏(むろ)のともし はるけくも
かかげんとて 生(あ)れましぬ
たたえまつれ きょうの日を
祝いまつれ きょうの日を

2、渇(か)れはてにし 天地(あめつち)は
いつくしみに うるおえり
甘露(かんろ)の雨(あめ) とこしえに
そそがんとて 生(あ)れましぬ
たたえまつれ きょうの日を
祝いまつれ きょうの日を

親鸞聖人のご誕生をお祝いする行事が宗祖降誕会です。西本願寺では5月21日(旧暦4月1日)をお誕生日として、前日から法要や祝賀行事が執り行われます。現在のような西本願寺での宗祖降誕会は、日本の近代化の中、宗門改革を進められた第21代明如上人が明治7年5月21日に法要を営まれたのが最初といわれています。当時の日本では誕生日を祝うということは現在ほどなじみの深いものではありませんでした。しかし、お釈迦さまのお誕生をお祝いする灌仏会(花まつり)と同じく恒例の行事として定着してきました。

そんな中、この仏教讃歌「宗祖降誕会」は大正時代に発表され、法要に欠かせない讃仏歌として約100年もの長きにわたって歌い継がれてきました。
「闇に迷う われひとの」に始まる歌詞は、『御伝鈔』第8段をテーマにしたものです。

 

『御伝鈔(ごでんしょう)』(親鸞聖人のご生涯をあらわした伝記)

第8段「入西鑑察(にゅうさいかんざつ)」のあらまし
親鸞聖人は、お弟子の入西房の心を察し、ご自分の肖像画を描くことをお許しになって「七条あたりに住んでいる禅定法(ぜんじょうほう)橋(きょう)に描かせてはどうか。」と仰いました。
入西房に招かれてやって来た禅定法橋が、親鸞聖人を見て驚き、またよろこびの涙を流しながら申しました。
「昨夜、尊いお坊さまの夢を見ました。そのお坊さまのお顔はあなた(親鸞聖人)にそっくりです。また、その尊いお坊さまの元のお姿は、長野の善光寺の阿弥陀如来さまであるということです。」と禅定法橋が見た夢の話をされたそうです。
これは、親鸞聖人70歳の仁治三年(1242)9月20日の夜のこと です。
つくづくとこの不思議なことを考えてみますと、親鸞聖人が阿弥陀如来さまの化身であるということは間違いのないことです。 親鸞聖人の弘められた「本願念仏の教え」は、阿弥陀如来さまの直説です。煩悩のけがれのない清浄な(無漏の)灯火を掲げて、さまざまな濁りに満ちた悪い世の中の迷いの闇を照らし、雨があらゆる生物に恵みを与えて成長させるように、仏の教え(甘露の法雨)がすべての衆生(人生に迷い苦しむ凡夫)を仏果に至らせるために阿弥陀如来さまの化身として親鸞聖人がお生まれ下さいましたのでした。親鸞聖人のみ教えをみんなで仰ぎ、尊んでまいりましょう。

この『御伝鈔』のあらましの、下線部の原文が以下のものです。

あきらかに無漏(むろ)の慧(え)灯(とう)をかかげて、 とほく濁(じょく)世(せ)の迷闇(めいあん)を晴(は)らし、 あまねく甘(かん)露(ろ)の法(ほう)雨(う)をそそぎて、 はるかに枯(こ)渇(かつ)の凡惑(ぼんわく)を潤(うるお)さんがためなりと。 仰(あお)ぐべし、 信(しん)ずべし。

この『御伝鈔』のお言葉をもとに「宗祖降誕会」の仏教讃歌が作詞されたことがよくわかります。

2017年05月01日 法話
pagetop