12年振りに悲願の団体金メダルが決まった瞬間、輪になって肩を組みながら、飛び跳ねて喜んだ日本体操男子。
「最高のメンバー」「絶対にアテネを超える」と意気込んでリオに乗り込んだ内村航平選手でしたが、予選では鉄棒の手放し技で落下、チームにもミスが目立ち、日本はまさかの予選4位。金メダルへの不安をのぞかせました。
団体決勝の一種目のあん馬からつり輪、跳馬、平行棒への流れは、日本の苦手種目が続くのでしたが、演技の選手の順番を組み替えるなど臨機応変な対応で、5種目目の鉄棒でようやくトップに立った日本。ロシアとの差はわずか0.2点。これを床の演技で大きく引き離して、2.641点の大差で金メダルを勝ち取ることができました。
この勝因を内村選手は「すごく努力をしてきたので、その努力じゃないでしょうか」と、珍しく努力という言葉を述べています。ほとんど知られていませんが、内村選手は誰よりも早く体育館に現われ、時間をかけて柔軟体操をし、練習開始の挨拶をすると真っ先に器具練習を始めるそうです。練習中もニコリともせず、自分のノルマが終わるまで黙々と練習を繰り返すのが日課だそうです。驚異的な強さから宇宙人と言われてきた内村選手ですが、実はこんな小さな努力を何年間も欠かさず積み重ねてきた努力家だったのです。
また、2008年北京、2012年ロンドン、そして今回のリオのオリンピックで3大会連続で、100メートル、200メートル、400メートルリレーで3冠を成し遂げたウサイン・ボルト選手も完璧な存在ではありません。人知れず苦しみ、心の中で泣きながら、努力してきた努力家です。
彼の言葉に「成功とは、小さな努力の積み重ねだ。自分の才能を信じて闘え。」
「その道を極めたいと思うのなら、多くのことを犠牲にしなければなりません。僕は体を休めるため、なるべく外出を控えています。友達と遅くまで遊びたいのを我慢して、早く寝るようにしています。ファーストフードも控えています。世界一になるためには当然です。」
と語っています。私たちの日常生活にも、また仏法聴聞の道にも通じる大切な言葉であると感心します。
リオのオリンピックでの輝かしい金メダルのうれしい報告の裏には、たゆまない努力と堅固な精神力が隠されているのです。
私たちの聞法も、いい加減なものではいけません。
生きるか死ぬかの一大事です。
ど性根を入れて聞法させていただきましょう。
瑞剱先生も、がんの宣告を受けたつもりで聞法せねばならない、と仰っておられます。
また「法雷」476号(2016年8月)には
仏教では、凡夫(ぼんぶ)が八万四千(はちまんしせん)の罪を、自分の力で消し滅ぼし、あらゆる善根功徳を積んで仏に成ろうとすれば、「三祇百大劫(さんぎひゃくだいこう)」といって、何十億万年もかかると説かれてある。それほど長い年月の修行の「苦労」と「努力」と「忍耐」を思うてみるがよい。(中略)
その修行の代わりに、「たのむ一念のとき、往生(おうじょう)一定(いちじょう)御たすけ治定(じじょう)」(領解文)となるのが、浄土真宗である。ゆえに真実の信心は、これを得ること、実に難中の難である。それだのに、のらくらして、一ヶ月にいっぺん位、居眠り半分で聞いておるのだから、もうもう話にならぬ。
と、厳しく戒めておられます。
そんな私たちに、「どうしたら信じられるか?」という大問題への心得を示してくださいます。
1、「因果業報(いんがごうほう)の真理を信ずること」
「因果業報」が分からなければ、社会を見渡して、善人は栄え、悪人が衰える事実と、昔からの例証を見れば、「因果」が分かる。「因果業報」は誤りなく、例外なしに、事実となって表れておる。
そして、「殺生しない。」「人のものを取らない。」ということが長寿の素になっておると思う。
2、「無常を知ること」
病院へ行ってみる。墓場へ行ってたくさん並んでいる墓石を見ると「無常」が感ぜられる。
3、「親孝行が大切である」
孔子の「孝経」を読む 信心獲得には「和讃」「御文章」を読む
4、「朝晩の仏前の礼拝が大切」
5、「信者の友人を持つこと」
6、「信心のある師匠に就くこと」
上の「六ヶ条」を守ることが大切な心得であると教えて下さいます。
心して、守らせていただくように「努力」してまいりましょう。
法雷カレンダー9月の言葉
不思議(ふしぎ)の佛(ぶっ)智(ち)を信ずるを
報土(ほうど)の因としたまへり
信心の正因(しょういん)うることは
かたきがなかになほかたし (正像末和讃)
阿弥陀如来は、 私たちの想いや言葉に尽くせない不思議の仏智を信じることを報土往生の正因となさいました。 この(仏智不思議の)信心の正因を獲ることは難しい中でも大変難しいものです。 これ以上の難しいことはないのです。
オリンピックで金メダルを取ることよりも難しいことが、凡夫が仏になるということです。
そこをよくよく、私たちはわきまえて「六ヶ条の心得」をしっかりと守って、日々努力をしていかなければならないということをこの和讃は示しておられます。