節談とは「七五調を基調としたリズミカルな美しい表現」「見事な美声による節まわし」「説教の五段法」という特色が指摘されています。つまり、節談とは、音韻・節付・構成そして身振り手振りの演出を駆使して、聴聞者の感性に訴える情念の布教法の極地を示すものといえましょう。
つまり、マイクのない時代、鍛えあげた音声で、日本人の感性になじむ七五調の句を連ね、そして要所要所では朗々と節をかける情念の布教は、満堂の参詣者から「ナンマンダブ ナンマンダブ」という受け念仏をよび、感動的な法座の風景をかもし出しました。また説教の構成は「讃題・法説・譬喩・因縁・結弁」という五段法が用いられ、宗意安心を聴衆に会得させるため身近なたとえ話やお念仏に生きた高僧や先人達の物語などが挿入され、笑いや涙をさそったのであります。
歴史は古く、仏教伝来の時から行われたと思われますが、発展の基盤を作ったのは天台宗の澄憲(ちょうけん)(1126-1203)・聖覚(しょうかく)(1167-1235)父子が樹立した安居院(あぐい)流が真宗に入り栄えました。各地で隆盛だった節談は日本の語り物や話芸の成立に強い影響を与えましたが、仏教の近代化の中で戦後急激に衰退しました。しかし、現在その素晴らしさが見直され各地で復活の兆しを見せています。
この度、1月23日(土)に初めて浄土真宗本願寺派専福寺住職、松島法城先生をお迎えして口演いただきました。講題は『 平生業成 』≪日渓法霖(にっけいほうりん)和上の遺偈≫でお話しいただきました。
平生業成(へいぜいごうじょう)とは、真宗のみ教えに生きる者にとって臨終の一念を待つことなく、平生の信の一念によって往生が定まる身とならせて頂くということであります。
第四代能化職(のうけしょく)日渓法霖(にっけいほうりん)和上の生涯が取りあげられます。法霖師は、幼少期より兄弟のように親しく交わってきた若き西本願寺第16代湛如宗主(1716-1741)の病床にあって、現世祈祷に頼らない親鸞聖人の御法義を守るため、厳しい誡めをなしたといわれます。宗主の寂後、一切の職を辞し自坊江州日野正崇寺へ帰着する駕籠の中で自刃した法霖師は、苦しい息の下から、
往生一路決平生 今日何論死与生
(往生の一路は平生に決す 今日何ぞ論ぜん死と生と)
非好蓮華界裡楽 還来婆界化群萌
(蓮華界裡の楽しみを好むに非ず 婆界に還来して郡萌を化せん)
との一偈を遺し力尽き果てられました。今日正崇寺に伝わる「遺偈」の筆跡は千々に乱れ、法霖師の壮絶な最期を物語っています。そこには、まさに死と生を超越してすべてを如来にゆだねきった平生業成の深い境涯を窺うことができます。
*奉 納 舞 演目 『暁の歌』
舞 吉村ゆきその さま 演奏 富山清琴 さま
上方舞吉村流の第一人者である吉村ゆきそのさまが、師匠・吉村雄輝師を偲ばれて、師の十三回忌(平成十年一月二十九日寂)にあたり、淨教寺本堂にて舞を奉納して下さいました。当寺に吉村雄輝師の墓所があり、その御縁によるものでございます。
吉村ゆきそのさまは日本舞踊協会参与、吉村流理事等を務め、2002年10月15日、東大寺の大仏開眼1250年慶讃大法要で祝賀の舞を披露し、絶賛を浴びるなど、地唄舞の第一人者として国内外で広く活躍されています。また、香川県文化功労者であり、高松観光大使もつとめられています。
富山清琴さまは2000年に襲名、家元を継承され、昨年2009年に重要無形文化財の保持者(人間国宝)に認定されました。
上方舞吉村流
江戸時代後期(19世紀前半)上方に生まれ、上方の文化に育まれた舞を、上方舞といいます。吉村流は、京都の御殿舞に端を発する伝統ある上方舞です。能、人形浄瑠璃の技巧を取り入れ、座敷舞として完成されました。
跳躍運動を基調とする「踊」に対して、「舞」は円運動を主とします。その動きはゆったり感じられますが、良い形を保つために見えないところで多くの筋力を使います。
座敷で動くことを前提としている「舞」。限られたスペースの中で自然の景観を作り、扇一本で心情を表現し、繊細な動きの中から心の内面を色濃く浮かび上がらせるという独自の芸風を持ちます。研ぎ澄まされた動きと感性が「舞」の最大の魅力です。多くの演目が心の機微の表現に重きを置いており、しっとりとした内面的な動きが特徴です。
四世吉村雄輝師は初の男性家元として襲名、1986年人間国宝に認定、さらに1997年文化功労者にも選ばれましたが、翌年に急逝されました。