奈良公園一帯で燈花会(とうかえ)が開催されて今年で11年目になります。年々リピーターが増えて賑わい、三条通りも奈良公園に向かう人々がたくさん通られます。
“淨教寺でも境内に灯りを置いたらきれいですよ!”との役員さんからの声に4年前試験的に300個ほどのカップに灯りを入れて置いたところ大変好評で、それ以来淨教寺護持会のご支援を得て継続して今年で4回目となります。
毎年カップの数を増やし、昨年からは夏休み子ども会でペットボトルのリサイクルで作ったあんどんも並べてもらい今年は約600個の灯りが境内を彩りました。ソテツの前には昨年は菊水の図柄を明かりで描き出しました。
今年は写真の如く蓮の花の中に「仏」という字を書いてもらいました。それを大変皆さん喜ばれて、たくさんの方がいろんなアングルで撮影しカメラに収めて帰られました。
8日は土曜日でもありましたので午後7時から9時の間に約2千人の方が来られたようです。真夏の夕暮れ600個の明かりで暑い夏がより暑くなる中、幽玄の世界にいやしのひとときを過ごして下さったと思います。
夏の夜に ゆらめくともしび なき人の
ほほえみおもい やすらぎのとき
ともしびに 送りし人の 顔かさね
あたたかきこころ 夏の夜のはす
光のはたらきはどんなことがあるでしょうか?
1、闇を破る。2、温める。3、育てる。ということが頭に浮かびますが、親鸞聖人は『一念多念証文』に
「この一如宝海よりかたちをあらわして、法蔵菩薩と名のりたまいて、無碍の誓いを起こしたまうをたねとして、阿弥陀仏と成りたまうがゆえに、報身如来と申すなり。これを尽十方無碍光仏と名づけたてまつれるなり。この如来を南無不可思議光仏とも申すなり。この如来を方便法身とは申すなり。方便と申すは、形をあらわし、御名をしめして、衆生にしらしめたまうを申すなり。すなわち阿弥陀仏なり。この如来は光明なり。光明は智慧なり。智慧はひかりのかたちなり、智慧また形なければ不可思議光仏と申すなり。この如来、十方微塵世界にみちみちたまへるがゆえに、無辺光仏と申す。しかれば、世親菩薩(天親)は尽十方無碍光如来と名づけたてまつりたまえり。」
と著されました。
まず初めに、光(ひかり)は智慧であり、如来(阿弥陀仏)そのものであると示されます。
そして、私たちの考えも思いも及びもつかない大きなはたらきをもった仏さまなので不可思議光仏と申すと示されます。また、我々を必ず護り・救うという慈悲のはたらきがほとり無く宇宙全体にいきわたっているので無辺光仏と申すのだと示されます。その上、天親菩薩は、何ものにも妨げられない尊い働きということで尽十方無碍光如来と名づけるのであると示されます。
親鸞聖人はそのよろこびを「帰命無量壽如来 南無不可思議光」と正信偈の冒頭に表白されました。この法燈会をご縁に、常に阿弥陀さまが私に働きかけて下さっていることをお感じいただければありがたいことです。