無財の七施(むざいのしちせ)

* 無財の七施(むざいのしちせ)
三月、春彼岸の季節を迎えました。
お彼岸、花まつりと行事が続きます。ぜひご仏縁を深めていただきたいと思います。『仏教聖典』(仏教伝道協会)より彼岸に関連する言葉を紹介します。

六波羅蜜(ろっぱらみつ)とは、布施・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進・禅定(ぜんじょう)・智慧の六つのことで、この六つを修めると、迷いのこ此の岸から、さとりのか彼の岸へと渡ることができるので、六度ともいう。
布施は、惜しみ心を退け、持戒は行いを正しくし、忍辱は怒りやすい心を治め、精進は怠りの心をなくし、禅定は散りやすい心を静め、智慧は愚かな暗い心を明らかにする。

布施と持戒とは、城を作る礎のように、修行の基となり、忍辱と精進とは城壁のように外難を防ぎ、禅定と智慧とは、身を守ってしょうじ生死を逃れる武器であり、それは甲冑(かっちゅう)に身をかためて敵に臨むようなものである。
乞(こ)う者を見て与えるのは施しであるが、最上の施しとはいえない。心を開いて、自ら進んで他人に施すのが最上の施しである。また、ときどき施すのも最上の施しではない。常に施すのが最上の施しである。施した後で悔いたり、施して誇りがましく思うのは、最上の施しではない。施して喜び、施した自分と、施しを受けた人と、施した物と、この三つをともに忘れるのが最上の施しである。正しい施しは、その報いを願わず、清らかな慈悲の心をもって、他人も自分も、ともにさとりに入るように願うものでなければならない。

世に無財の七施とよばれるものがある。財なき者にもなし得る七種の布施行のことである。
一には身施(しんせ)、肉体による奉仕であり、その最高なるものが捨身行(しゃしんぎょう)である。
二には心施(しんせ)、他人や他の存在に対する思いやりの心である。
三には眼施(げんせ)、やさしきまなざしであり、そこに居るすべての人の心がなごやかになる。
四には和顔施(わげんせ)、にゅうわ柔和な笑顔を絶やさないことである。
五には言施(ごんせ)、思いやりのこもったあたたかい言葉をかけることである。
六には牀座施(しょうざせ)、自分の席をゆずることである。
七には房舎施(ぼうしゃせ)、わが家を一夜の宿に貸すこである。

以上の七施ならば、誰にでも出来ることであり、日常生活の中で行えることばかりなのである。

 


 

こころあたたまるお話

*泥かぶら (真山 美保 作)

昔、ある村に大変みにくい顔の女の子がいました。親もなくひとりぼっちでした。あまりのみにくさに人々のあざけりのまとになり、子ども達から石を投げつけられたり、唾を吐きかけられたり、踏みつけられたりしていました。いつも着の身着のままで、誰とも遊んでもらえず、女の子の本当の名を呼ぶ者は一人もいませんでした。村の人たちや子ども達からは「泥かぶら」と呼ばれて、さげすまれていました。「泥かぶら」の心は悔しさと怒りでとすさみ、荒れて、狂暴になっていきました。「泥かぶら」が草花の中で寝ていると、村の子ども達がやってきて、ののしり、石を投げつけ、「おまえなんかあっちいけ」と追っ払ってしまいました。大人からも子どもからものけ者にされ、いじめられて、「泥かぶら」の居場所はどこにもありませんでした。

ある日、「泥かぶら」が草むらに伏して、やり場のない怒りと悲しみにもだえ苦しみ、「美しくなりたい」と泣き叫んでいると、そこへ通りかかった旅の老法師が声をかけてきました。そして「泥かぶら」に次の三つのことを心がけたら美しくなれると教えました。
1、自分の顔を恥じないこと
2、どんなときにも、にっこり笑うこと
3、人の身になって思うこと
この三つを守れば、村で一番美しい人になれると告げて法師は去っていきました。

その日から「泥かぶら」の一途な努力が始まりました。しかし、いくら努力しても村人のあざけりやののしりやいじめは消えませんでした。美しくもなりません。「泥かぶら」は失望し、落胆し、旅の老法師をののしり、何度もあきらめようとしますがそれでも気を取り直して努力するしかありませんでした。

その努力のおかげで、今ではもう明るく気持ちのよい「泥かぶら」は村の人気者となり、子守りに、お使いに、村人のために献身的に働いて重宝されるものになっていました。

ある日、貧しさゆえに一人の少女が人買いに買われていく事件が起こりました。「泥かぶら」は身寄りのない自分が身代わりになることを申し出て、村人やその少女の家族の止めるのも聞かず、人買いに連れられて行きました。人買いは凶悪な男でしたが、「泥かぶら」は何のおそれや憎しみも持たずに、道中、村の話をしたり、可愛がった赤ん坊のことを話ししながら何でも言うことをよく聞いてよく働きました。

「泥かぶら」の純粋な心と行動に接して、人買いの心に次第に良心がよみがえってきました。山中で野宿したとき、「泥かぶら」が山水を汲みに行っている間に、人買いは書き置きを残して消えていきました。
「ありがとう。仏のように美しい子よ。」

「泥かぶら」はその書き置きを読んで、旅の老法師が教えてくれた三つの教え(1、自分の顔を恥じないこと 2、どんなときにも、にっこり笑うこと 3、人の身になって思うこと)の意味を初めて理解しました。山中の月の光の中で「泥かぶら」の顔が美しく輝いていました。

2007年03月01日 法話
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