極大慈悲母

淨教寺会館 淨法会
毎月第2木曜日午後1時半より、奈良市学園前の淨教寺会館で淨法会という故稲垣瑞劔先生の法話テープを拝聴して話し合う法座が開催されています。

7月13日開催の法話テープの中から一部を紹介いたします。

一番もとはな、阿弥陀さんや。阿弥陀さんが南無阿弥陀佛や。「名体不二」(みょうたいふに)云うてな、このお方が丁度お母さんみたいや。源信和尚は阿弥陀さんの事を「極大慈悲母」と云われた。
非常に大きな大きなお母さんやと云うね。「極大慈悲母に帰命する」と仰言った。源信和尚の『往生要集』という本にそういう事が書いてある。そうすると一番始めの、大事な佛法のこもとや、信心のこもとや、念佛のこもとの阿弥陀さんや。阿弥陀さんはお母さんやと云う、これがないといかんやろ。
この阿弥陀さんが南無阿弥陀佛、阿弥陀さんが私達のお母さんや。お母さんというたら有り難いもんや。善し悪しという事を分けんと愛して下さる。親父は善し悪しを分けて愛するやろ、それだけ違うね。そやよってに阿弥陀さんは、我々が善うても悪うても、罪が重うても罪が軽うても、男でも女でも、金持ちでも貧乏でも、年寄りでも若いもんでも、男女老少を選ばず助けてやる、とこうや。
「助けたる」と偉そうに云うのではなくて、お母さんの事やから「助けさせておくれ」と、こうや。それが浄土真宗や。阿弥陀さんが「助けさせておくれ」と・・・・。
阿弥陀さんに頼まれたら仕様がない。わしら子供の時に、母親が追いかけて来て「お灸をすえなんだら野球も出来へんよ」と云うてな、遊びにも行かれへん、学校にも行かれへんが。体を丈夫にしとかなあかんと云うて・・・・。
こっちは熱いから逃げ回っとる。そうすると又お母さんが来て「どうぞそう云わんと、すえておくれ」と云うてな、親が頼みよるな、母親が。父親やってみないな、「早うせんかい」と怒るだけの事や。母親やったら、云う事を聞かなんだら、「どうぞ熱いやろけども辛抱して灸をすえておくれ」と頼むわ・・・・。

「慈」とはいつくしみ、思いやりの心。楽を与える情け深さ。「悲」とは悲しい気持ちをともにすること。他人の苦を抜くあわれみ、同情。を意味します。その慈悲の極まりなく大きなお母様のようなおはたらきが阿弥陀様であるとお話くださいます。親鸞聖人は和讃の中で「釈迦弥陀は慈悲の父母」と詠まれ、お釈迦様は慈悲の父のようであり、阿弥陀様は慈悲の母のようであると表現されます。
最近は慈悲の欠片(かけら)も無い事件、惨状が報告されますが、今一度、慈悲の精神を再確認し阿弥陀さまのおこころを仰ぐ生活をともどもに過ごしたいものです。

 

第25回 夏休み仏教子ども会
平成18年7月22日(土)午後4時から9時

梅雨の晴れ間の暑い日になりました。子どもたちは暑さも何のその、元気な顔を見せてくれました。赤ちゃんから幼稚園、小学生、中学生100名余りが集まってのにぎやかな集いとなりました。

「らいはいのうた」のおつとめのあと、「ちかい」をみんなで唱和しました。
一、 仏の子はすなおにみ教えを聞きます。一、仏の子はかならず約束をまもります。
一、 仏の子はいつも本当のことをいいます。一、仏の子はにこにこ仕事をいたします。
一、 仏の子はやさしい心を忘れません。

若院さんから「オアシス」のお話がありました。オはおかげさま。アはありがとうございます。シはしあわせです。スはすみません。の日々を大切に、ということでした。そして、横倉美雪先生からは「ふしぎなたね」というお話をしてもらいました。安野光雅さんの絵の素晴らしい絵本でした。仏青スタッフの指導で恩徳讃の歌の練習、京都女子大学宗教教育部のお姉さんたちのゲーム、仏青スタッフの考えた宝さがしなど子ども達は本堂・境内を走り回りました。夕食の後、夜店の始まりです。輪投げ、スーパーボールすくい、ダーツ、くじ引きと思い思いに回って楽しんでいました。噴出し花火が点火されるといろんな
炎の輝きに歓声が響きました。本堂で恩徳讃を歌って礼拝した後は、最後は肝だめしで締めくくりです。みんなおやつをもらって元気に帰っていきました。

報告  仏教青年会 佐藤 晋・ 浜川 洋志

2006年08月01日 法話
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