台湾 法雷寺 入仏法要

平成18年6月4日(日)午前10時より台湾最南端の街、髙雄の地に浄土真宗の寺院が建立され入仏法要が営まれました。この大事業は女性の僧侶・瑞覚尼が発願され、成就されたものです。完全な落慶法要まではまだ2~3年かかるようですがその驚異的な情熱と行動力に心から敬服いたします。皆様とともにこの慶事を喜ばせていただきたいと思います。

瑞覚尼の挨拶より(抜粋)

台湾の方々はすごく熱心なのですが、日本語が読めないために親鸞聖人の教えを知りたくても読めない。しかし皆様は日本語を母国語として人間として生まれた方ですからすごく幸せなことです。自分の言葉でお聖教、親鸞聖人のお言葉をいただくことが出来ますのでこれ以上の喜びはありません。そのありがたさを感じていただきたいと思います。台湾の方々は言葉が分からなくても来られます。なぜならば生死の解脱です。そのこと一つのためにここへ足を運んで下さいます。私の通訳を通して仏教の真髄を吸収していかれます。阿弥陀様のご本願に遇えなければ人間に生まれた意味がありません。人間に生まれて浄土真宗に遇えて、特に善き先生に出遇うことが出来まして、これ以上の幸せはありません。
法雷寺の建立は、せっかくみなさんがはるばる日本から来て下さっていますがまだ充分ではありません。充分ではありませんがすごくうれしいです。これが人生ですから。不如意の世の中ですので、早く全部立派に完成してほしいという思いは全然ありません。なるようになる。毎日、本願の教えの中で自分の出来ることを精一杯させてもらうだけで、後はもう結果を求めず、毎日、一所懸命にやっていれば自然に結果が出てきて下さるので。
ようこそ台湾へ来て下さったことをこころからお礼申し上げます。どうもありがとうございました。

野瀬瑞黙先生ご法話(一部)
「浄土真宗の特徴(仏法者らしきものの見方)」

浄土真宗の教えは私のほうから阿弥陀様に向かってお助け下さいと頼むのではありません。阿弥陀さまの方からどうぞ私に助けさせておくれ、お前一人をほっとくわけにはいかん、われ一人が仏というような顔はしておられんと、仰せです。お前が一緒に助かってくれてこそ阿弥陀や。天地の姿、宇宙の姿というものは一緒に動いてこそ真理といえる。自分だけが先走りしていいかっこしているのは宇宙の真理に背いている。私は滋賀県の人間ですが、昔から江州商人というのは、買って喜び、売って喜ぶ、両方が喜ぶ、売って自分が得したというだけの喜びではあかん。これが江州商人の生き方なのです。
これが仏法の、仏法だけでなく宇宙精神というものです。それが如来さまのうえにおいても私一人が阿弥陀になって悟った顔をしておられない、お前が助かってくれなかったら私は阿弥陀と言われない。若不生者、不取正覚と。これが十八願の真髄。絶対の平等主義ですよ。これが如来様の命ですね。ということはこれが宇宙の真理であるということです。私どもは明けても暮れても自分が得したらそれでいい、ということばかりを考える浅ましい生き方になっておるんですが。けどもそうじゃないです。
そういうところを仏法の上からも学ばせてもらわなかったら、自分だけが極楽行って楽すると、そんなこと言ってるものは極楽行けへん。そんな者はみな地獄へ行く。自己一人主義、独善主義はどこまでいっても失敗していくのですね。それをせっかく教えてもらいながら、いつのまにか自分だけが極楽参りして後の人はほっとけと、そんなことやったら阿弥陀様は泣かれる。そうじゃなくて、どうか世の中安穏なれ、仏法ひろまれとみんな共に往生して一味の蓮台に乗ってくれよと、それが如来様の御心なんです。それが絶対平等主義なのです。
虫は殺してもいいものや、殺生してもいいものやというわけではない。殺生したら必ず等活地獄といって地獄の罪になっていく。しかし、殺生せずにはおられないということと、殺生していいのやということとは違う。そこのけじめぐらいは浄土真宗のご門徒の方は心得ておかないといかん。天地宇宙の真理です。
なんぼ自分が蚊にさされてもその蚊を叩いて殺すということは殺生罪やと、血を吸うたから殺した、そんなことは通らん。因果の道理からいっても通らん。これは私の先生(稲垣瑞劔先生)からやかましく言われました。
それよりも阿弥陀さんの仏法をいただいたら慈悲の心で虫(ムカデや蚊)を逃がしてやれ、今度は人間に生まれてこいよ、南無阿弥陀仏といって一言くらいは聞かせてやってそれを逃がしてやれ。噛んだからといって足で踏み潰したらそれは殺生罪になって道に背いたことになる。
親鸞聖人は西方指南抄において、ものの命をとらぬこと、ものに食を与える、食を与えるということは命を与えるということやと言っておられます。万事、仏法者は仏法者らしきものの見方をしていけ、それを教えてもらいました。

2006年07月01日 法話
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