世のなか 安穏なれ(親鸞聖人750回大遠忌法要スローガン)

*世のなか 安穏(あんのん)なれ
(親鸞聖人750回大遠忌(だいおんき)法要スローガン)

宗祖親鸞聖人の750回忌のご法事が「親鸞聖人750回大遠忌法要」として、平成23年(2011年)4月9日から平成24年(2012年)1月16日までの期間で56日間110座のご法要が勤められます。その法要に向けたスローガンが決定され、ロゴマークも作られました。

スローガンは「世のなか 安穏なれ」となりました。スローガンの「世のなか 安穏なれ」というおことばは、親鸞聖人のお手紙であります「親鸞聖人御消息(ごしょうそく)」第25通の中に語られるものです。

西本願寺はスローガンを「世のなか 安穏なれ」とされた理由を次のように説明しています。

宗祖親鸞聖人が、不安と争いの時代にあって念仏者の目指す道を示されるなかで述べられた言葉であるが、まさに戦争への危機感や命の軽視、倫理観の欠如などに伴う出来事が相次ぐ現代社会にあって、私たち一人一人が自己中心の心を反省して、同じいのちを生きている相手の存在に気付くことが求められている。自分一人を善として、相手を排除する考え方に真の安らぎはなく、善と悪に固執する偏見を破り、対立の構図を解消できるのは仏の智慧だけである。親鸞聖人が仏法が弘まり、世の中が安穏であることを願われた。そのおこころをいただくために750回大遠忌を迎える今、スローガンとした。

また、このたび発表されたロゴマークの図柄は「750」と親鸞聖人のローマ字頭文字の「S」を型どり、曲線が結びつくことで人と人とのふれあいを表現しています。基幹運動総合基本計画のスローガン「ともにいのちかがやく世界へ」の意味を込めており、6本の曲線は仏旗の6色を表しています。

 

*『世のなか安穏なれ』の出典

【『親鸞聖人御消息』第25通にある親鸞聖人より性信房宛の手紙の一部】
「往生を不定におぼしめさんひとは、まづわが身の往生をおぼしめして、御念仏候ふべし。わが身の往生一定と おぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために御念仏こころにいれて申して、世のなか安穏 なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえ候ふ。よくよく御案候ふべし。このほかは別の御はからひある べしとはおぼえず候ふ。」

【「浄土真宗聖典(註釈版)」P.784に所収】

※「消息」とは、門主が僧侶・門信徒に出した手紙のことです。

(現代語訳)浄土に生まれることを不確かと思われる人は、まづわが身の浄土に生まれることをお考えになって、お念仏申してください。かならず浄土に生まれることができると確信される人は、仏のご恩を思われるにつけても、ご報恩のために、お念仏を心に入れて称え、世のなかが安穏であるよう、仏のみ教えのひろまるように、とお思いになるのが良いと思われます。よくよくご思案ください。このほかに別の計らいがあるとは考えておりません。

ここで親鸞聖人は「まづわが身の浄土に生まれることをお考えになって、お念仏申してください。」と申しておられます。生まれては死に、生まれては死にという長い流転を経てきた私が流転することの無い悟りを目指して進む道、それがお念仏の道です。ここでいう「お念仏申してください」とは、ただ単に口に「南無阿弥陀仏」と称えることではなくて、生まれ難き人間に生まれさせていただき、聞きがたき阿弥陀さまの慈悲を知らせていただいた慶びを素直に「ありがとうございます」と心に感じさせていただくことです。その慶びを親鸞聖人は『教行信証』の「総序の文」に

ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。(中略 )慶ばしいかな、西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に、遇いがたくしていま遇ことを得たり、聞きがたくしてす でに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳深きことを知んぬ。ここをもって聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。

【「浄土真宗聖典(註釈版)」P.131に所収】

(現代語訳)わたしなりに考えてみると、思いはかることのできない阿弥陀仏の本願は、渡ることのできない迷 いの海を渡してくださる大きな船であり、何ものにもさまたげられないその光明は、煩悩の闇を破ってくださる智  慧の輝きである。(中略)よろこばしいことに、インド・西域の聖典、中国・日本の祖師方の解釈に、遇いがたいの に今遇うことができ、聞きがたいのにすでに聞くことができた。そしてこの真実の教・行・証の法を心から信じ、如 来の恩徳の深いことを明らかに知った。そこで、聞かせていただいたところをよろこび、得させていただいたところをたたえるのである。

と、よろこびを表明されています。「世のなか 安穏なれ」のスローガンを具現化していくことは、この親鸞聖人が歩まれた道をわたしたちも歩み、慶びをともにしていく聴聞に限るのであります。またその姿を見せていくことが慶びを伝えていくことになるのです。

2006年06月01日 法話
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