みなさん、食事をいただかれるときに「食前のことば」、終わったときに「食後のことば」というものがあることをご存知でしょうか?
意外と知らない方が多いようです。
またご存知でも、なかなかそのことばを言って食事をされたり、終わられたりということはほとんど無いというのが現状ではないでしょうか。
せいぜい手を合わせて「いただきます」、いや手を合わせないことのほうが多いかもしれません。「いただきます」のことばだけの場合。ことばさえも無い場合もあるかもしれませんね。
そこで一回この紙上で食事のことばの意味をあじわってみて下さい。
その想(おも)いを持ちながらでも「いただきます」のことばと共に食事を始め、感謝の気持ちを持って「ごちそうさま」が言えたらどんな食事でも身につくことでしょう。
食前のことば 1
● み仏(ほとけ)と、みなさまのおかげにより、
このご馳走(ちそう)をめぐまれました。
深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。
食後のことば 1
●尊いおめぐみにより、おいしくいただきました。
おかげで、ご馳走さまでした。
ところで、現在の「食事のことば」ができる以前は
(食前のことば 2)
◎ われ今(いま)幸(さいわ)いに、仏祖(ぶっそ)の加護(かご)と衆生(しゅじょう)の恩恵(おんけい)とにより、この美(うるわ)しき食(しょく)を饗(う)く。
つつしみて食の来由(らいゆ)を尋(たず)ねて味の濃淡(のうたん)を問(と)わじ。
つつしみて食の功徳(くどく)を念じて品(しな)の多少(たしょう)を選ばじ。戴(いただ)きます。
(食後のことば 2)
◎ われ今、この美(うるわ)しき食を終りて、心ゆたかにちから身に充つ。
願わくは、この心身を捧げておのが業(ごう)にいそしみ、誓って四恩(しおん)にむくい奉らん。
御馳走さま。
を使用していました。
以前に使われていた「食事のことば」もありがたいですね。
食事に対する心構えを端的に示してくれていると思います。また、この食事によってどれほどの力をいただくことが出来たか。
たとえひとにぎりのおにぎりでも、このお米が育てられ、収穫され、私のもとに来るまでにどれだけの手間がかけられ、どれだけの人の手を経てきたか。そして我が家に来て、ご飯として炊かれ私の食膳にまで運ばれるのに家族のもの達のはたらきがあります。汗を流して、お腹のすいているときのまたおいしいこと。他の食材に勝るとも劣るものではありません。味の薄い濃いや甘い辛いの問題でなく、また品数が多いとか少ないとか問題ではなくこのおにぎり一つがありがたいのです。このおにぎりが私の身体を支えてくれ、またがんばろうという気力と体力が心身にみなぎるのです。そして、私のなすべき仕事に勉強に邁進できるのです。それもこれも四恩(父母の恩、国王の恩、衆生(すべてのいのちあるもの)の恩、三宝(仏・法・僧)の恩)のおかげによるものなのです。
そのことを常に忘れずに日々を過ごすことができたらいいですが、そんなことは無理ですから、せめても食事の前と後くらいはそのことに想いを寄せてお食事が出来たなら素晴らしいことだと思います。
しかし、ついつい習慣ですぐにお箸を持って食べ始めてしまうかもしれませんが、はじめたあとでも思い出したら、「あ!忘れてた。いただきます。」と、少しずつ改善できたらと思います。
そして、余裕があればこうして食事をいただくことが出来ることを喜ばせてもらうと同時に、今現在この時にも、このおにぎり一つさえも手にすることの出来ない人がいる。そういう人たちへ少しでもわたしの出来ることをさせていただこうという思いを持ち続けることも大切なことだと思います。
常に「俺が、私が」と自分のことばかりに終始してしまいがちな私の姿を見つめ直し、また、多くのいのちに目を向けていくゆとりを持った食事はとても大切なことだと思います。
親子そろって食事のことばを言って、そのことを話題にしながら食事が出来る家庭をめざしましょう。