昭和天皇御製

夏たけて 堀のはちすの花みつつ
ほとけの教え  憶う朝かな

昭和63年7月 皇居の道灌堀に咲く蓮の花をご覧になって詠まれた御製であります。その年の9月再入院され、崩御されたのが翌年昭和64年1月7日であるから、詠まれてまもなく病の床に伏されることになります。 泥中の泥にまみれることなく美しい花を咲かせる蓮の花を眺めながら、み仏さまの慈悲の光に包まれていることの尊さをしみじみと憶念された歌でありましょう。
また、昭和天皇は、海洋生物・植物のご専門で分類研究を続けられました。ある時、新聞記者の人たちの話の中で「雑草」という言葉が聞こえましたので、陛下は「雑草という草花はありませんよ。どんなに小さな草や花にも名前があるのですよ。」と、諭されたという話しを聞いたことがあります。これも慈悲に照らされた温かい心の表れです。
親鸞聖人のおことばとして『歎異抄(たんにしょう)』第二条の中に
「地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」
(地獄こそが私の住む場所である)とあります。
また、「自然法爾章(じねんほうにしょう)」には、
「是非(ぜひ)しらず 邪正(じゃしょう)もわかぬ このみなり
小慈(しょうじ)小悲(しょうひ)もなけれども 名利(みょうり)に人師(にんし)をこのむなり」
(善悪もわからず 何が正しくて何が間違っているかも みわけがつかない この身であります。 また、慈しみや哀れみのこころも持ち合わせないにもかかわらず、名声や利益を求め、他人から偉い人と誉めそやされたいという気持ちだけはなくなりません)と深く慚愧されているおことばがあります。
この地獄のような泥田の中(現世)で、み仏さまの大いなる慈悲(蓮の花)に触れ、自らのいたらなさが気づかされていくと同時に、大慈悲に抱かれていた私であったと知らされていく中に、上記のような正直な、偽らざる言葉、自らを深く見つめた親鸞聖人の厳しいお言葉が出てくるのであります。それなるが故に、慈悲深く、皆から慕われる九十年のご生涯を過ごされたのです。

2005年08月01日 法話
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