死に向かって生きる生

川 幽芳 師 (前龍谷大学教授)

若い人たちに宗教の話をすると、「人間はいつから宗教をもつようになったのですか?」という質問をされたことがあります。
簡単な質問のようですが、その背後には「宗教とは何か?」とか「なぜ宗教が必要か?」といった、宗教の本質にかかわる問題への関心が潜んでおり、「いつから?」という言葉には「どんな状況で?」という問いも含まれています。換言すれば、人間の生命の在り様への関心が、そうした表現で問われているのです。
考古学などの成果は、埋葬の始まりが宗教の起源と深くかかわっていることを明らかにしましたが、それは人間が自身の「生と死」を問う心をもったことを意味します。別な表現をすれば、人間が死を意識し、死に向かって生きる生を見つめ、何人も逃れることのできない死の意味を問う心をもったのです。したがって、真の宗教は、この問題に応え得る教えでなくてはなりません。
釈尊は出家の動機を「苦なる老死からの出離を求めて」とのことであったと語られましたが、その人間の問題は、仏陀と成られたことで完全に説き明かされました。しかも、釈尊は個々の人間の能力や状況に応じて「対機」の説法をされ、すべてのものが「苦なる老死」から救われる道を明らかにされました。仏教が宗教の真髄であり、「南無阿弥陀仏」が最勝の仏道であるゆえんです。
現今の私たちは「いのち」の問題を口にしながらも、真に自分の問題として向きあうことを避けています。
そのような、人間であることを忘れているような私に、ご門主さまがお念仏の勧めとともに、1日5分でも静かに自分を見つめる時をもつようお勧めくださっていることは、現代の状況に応じた適切で具体的な指針をいただいたものと、いま私は深い感銘をうけています。
(大乗2004(平成16)年10月号「やさしい巻頭法話」より)

 

かきつばた 必字(ひつじ) 必字(ひつじ)の 法のはな

稲垣 瑞劔 先生

いちはつ あやめ かきつばた しょうぶ
今の季節の花便りです。よく似た花で、見分けがつきにくいものですが、紫色のなんともいえない気品のある花です。
稲垣瑞劔先生のうたに、上に紹介したものがあります。「かきつばた」の花の絵を描くときに「必ず」という字を書いて、茎と葉を長く描けば「かきつばた」の絵が完成します。絵の中心となる花の部分の「必ず」を「必字(ひつじ)」と読ませています。
蓮如上人は『御文章』「末代無智章」に「一心一向に仏たすけたまえと申さん衆生をば、たとい罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来は救いましますべし」と、お示しくださいます。「かきつばた」は、私たちに「必ず救う」「必ず護る」との阿弥陀如来のお慈悲のはたらきを教えてくれている花であるとあじあわれた瑞劔先生のおこころがあらわれたうたです。

2005年06月01日 法話
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