仏足石(2)

* なぜ、偏足仏足石(片足)か?

松久保秀胤師の著書『み佛の踏みし蹟ところ』によりますと
「21 ブッダガヤ 佛足蹟」の説明に玄奘三蔵法師の『大唐西域記』を引用して、下記のように述べておられます。
「菩提樹の北、佛の経行の処なり。如来、正覚を成じ已り、座を起たず、七日寂定し、それ起つや、菩提樹の北に至り、七日経行す。東西往来し、十余歩行ず、異花、跡に随い、十有八丈あり。後人、此に甎を畳んで基となす。高さ三尺に余る。」
意味:菩提樹の北側は、お釈迦様の歩まれたところである。お悟りを開かれた後、すぐにはその場を起たず、7日間瞑想を続けられた。そしてやっとその場を起たれ、菩提樹の北側に行かれ、7日間歩まれた。東西を行き来して、悟りの内容をかみしめられる様にゆっくりと十数歩、歩まれるといろいろな花が歩まれた跡に咲き随い、十有八丈(1丈3メートルとして約54メートル)にもなった。後にお釈迦様を慕う人びとはそこに瓦を積んで高さ90センチ程とした。
経行所であるので、一歩一歩と静かに菩提樹の周囲を歩まれた足跡が、蓮花様に彫出された佛足蹟なのであろう。
お釈迦様は、成覚を得て、経行を行った足痕に蓮華が地上より生じたことを経典に説いている。その経典の文のごとく、蓮華様の佛足石を拝して玄奘三蔵法師は歓喜した一文で結んでいる。
以上のように、お悟りを開かれた後、一歩一歩、静かに菩提樹の周囲を歩まれた足跡を象徴する貴重な偏足(片足)の仏足石と理解することが出来ます。
浄土真宗の立場からあじわえば、いつ、どこにいても常に私を「必ず、護り、救わずにはおかない」と昼夜お休みなく抱き取ってくださっている摂取不捨の慈悲の心を表しておられる一歩と受け取ることが出来ます。
摂取不捨の「摂」は「おさめとる。ひとたびとりて、ながくすてぬなり。もののにぐるを、おわえとるなり」「取」は「むかえとる」と親鸞聖人は左訓といって字の解釈をされています。足の形の特徴として、足安平相といって、平満で凹凸がなく、どのような高低の地でも、いつも足裏全体が地についている安定した足裏である。
魚紋が、1頭3匹という特徴のある紋様で、普通は1匹あるいは、双魚であるが1頭3匹の模様を持つ仏足石は目下のところ世界中、ブッダガヤの偏足(片足)の仏足石のみであり、ペルシャとオリエントの文化交流を物語るものである。

2005年05月01日 法話
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