花まつり挨拶・お寺は何をするところ

4月8日 花まつり 挨 拶  住職 島田 和麿

人類史上最も偉大なお方はお釈迦様であります。私たちの国日本と同じ、インドはヒマラヤ山の麓の農業国で、四季がはっきりしているという同じ土壌で芽生えたものが日本に移ってきてきちっと残っているということにも意味があるのではないかと思います。今年は、2003年です。高楠順次郎博士の説によりますと、お釈迦様のご誕生は西暦紀元前565年の4月8日にお生まれになったということでございます。今から2568年前と言うことになります。インドにお生まれになられたので良かったと思います。なぜかと言いますと、民族はアーリアンで当時最高の教養をもっていました。そして、言葉が豊富でした。また、広く深い哲学を持っておりました。もし日本でしたら、2600年前、言葉も無く非常にまだ程度も低い状態でした。生まれるべき方は、生まれるべき場所で、生まれるべき時代に、ちゃんとあらわれ出ておられると思います。同じ頃西洋ではソクラテス。インドではお釈迦様。中国では孔子様。今世界を動かしている大きな哲学の流れの源流となる三人が同じ頃にお生まれになっています。何と申しましても、お釈迦様はすごい。この教えが日本に参りまして、日本民族の血液に骨髄に沁み込みまして、まだ表面に見えてない様でございますが、どんなにキリスト教や新興宗教が出ましても、また、イスラム教も日本にはなかなか入って来ないということは、仏教の深い土壌があるからではないかと思います。そういうことで、非常に大きな精神文化で私たちに正しい道と、幸せと人生観を与えて下さったお釈迦様のご恩を今日は一日喜び、お祝いしたいと思います。
人類史上お釈迦様ただ一人、心のざわめきを取り払われました。私たちは寝ても覚めても、心電図のように、愛したり憎んだりしています。お釈迦様の静寂な心から説かれました教えというのは真理そのものでございます。本当に、哲学的にまた科学の方から突っ込んでもお釈迦様の教えは正しくまた、私たちが納得できる教えが展開されています。これは一切偽りを言わなくても良いという非常に幸せなことであります。それだけに厳しい教えでもあります。心が静寂・無我になりますとかえって智慧と慈悲・愛でいっぱいになって大活動をして下さいます。
私たちは、欲で、無知でいっぱいですからなかなか本当の活動ができませんけれど、仏さまはそこから大智と慈悲の活動を展開して下されています。そういうことで、いろいろなあたたかい心を頂戴して、私たちは聞かせていただくので、お釈迦様の価値と言うのは絶大なものがございます。いまイラクの戦争がございますが、仏教が世界に行きわたらないと本当の平和は訪れないのではないかと思います。日本人が本当に仏教を大事にして、尊い道を歩んでいたら、絶対この国を滅ぼしてやろうというようなことにはならないと思います。戦争する方も、される方も、欲と怒りで満ち満ちておりますと盲目になってしまって戦争に走るんですね。私たち平和のためにも幸せのためにも世界のためにも、このお釈迦様の教えを日本人がしっかりと身につけていく、そして「あ、日本人はちょっと違うんだな」と、「尊い民族だな」と、そういうことから世界にまた広がっていくと思います。すべては私自身への問いかけ、お釈迦様の呼びかけを本日はですね受け取っていただきまして、大いに仏教を体に心に吸収していただきますよう念願いたしております。

 


 

白蓮院釈順教法尼 前々坊守 幸代 三十三回忌
龍華院釈順昭法尼  前坊守 千代   七回忌

平成十五年4月21日(月)午後二時 法要
住 職 挨 拶 より

「お寺は何をするところか」
祖母と母の二人の法事をいたしますに際しまして、平成6年に淨教寺開創七百五十年の大法要の折、記念誌を作りましたが、そのあとがきに私の最も尊敬いたします千葉乗隆先生のお言葉を載せさせていただきました。
「お寺は何をするところか?」それに対する意味を短く書いて頂いておりますのでご紹介いたします。皆様も今一度お家に帰られましたら記念誌をご覧下さい。「仏像やお聖教はもともと、形なき仏法を仮に形でもって表したものです。形あるものは形あるままに保持すれば事足ります。しかし、形なき仏法を正しく保持することは容易ではありません。一方また、形あるものはいつしか滅びます。それ故に形あるものを保持する難しさもあります。形なきものは滅びることはありません。しかし、形なきが故にその保持には形あるものにましていっそうの困難性があります。」と言うことが書かれてあります。形の無い真理を法と言う。み教えと言うものはそれを護っていくのには、形あるものを護っていく以上に大変な困難性があります。という一節がございまして、開創750年のときはその言葉に励まされまして、しっかりとお寺を護り、み教えを護らなければならないという自覚を新たにいたしたお言葉でした。あとの方に、私の感想として、「形あるものを保持する難しさ、形なきものを保持する一層の困難性の双方を皆様とともに背負って新しく出発しようと思います。」という言葉で結ばせていただいておりますが、本日またこれを思い出しましております。
当山は、いい場所にあって、立派な御堂を建てていただき、長い歴史がありまして、非常にすばらしい門徒が居られて護っていただいているということでは最高だし、もったいない、本当にありがたいと思っております。ですからより一層、価値あるべく、つとめていきたいと存じております。皆様も、教えを聞くということ、持続するということは、自分を励ましていかなければなりませんので容易な道ではありませんが、これが本当に人類の救いの最高のみ教えでございますので、それを自覚していただき、21世紀新しい歩みを御一緒に続けさせていただきたいと念願いたしております。

前々坊守 幸代さま の思い出
本堂での法座の後、いろいろな悩みをご門徒の方から相談されることが、たびたびありました。しかし、その時「ああしなさい。こうしなさい。」と即答されるのではなく、むしろ「私も寺に居りますが、皆さんと同じ心配事もあれば、悩みもあるのですよ。ここで一緒に阿弥陀様のお慈悲を聞かせていただきましょう。」と、ご門徒の方と同じ目線に立ってお話してくださる姿に、相談された方も問題解決にならなくともほっとして帰られたということです。「お寺に来て、阿弥陀様の前に座って、お聴聞しているうちに解決されていくのですよ。」ということを暗に示めされた尊いお姿でした。
(吉岡 功夫さん 談)

前坊守 千代さま の思い出
とにかく体を動かし、示す母でした。聞法の座についている以外はよく動かれました。特に大変な仕事を率先してやっていかれました。私がお嫁に来た当時、おくどさん(薪をくべて火を焚く場所)がありまして、煙突の煤掃除をするのですが、母は私には「外で煙突の先から煤取りの穂先が出てくるのを見ていて」といって、自分はいつも煤だらけになってくれてました。また、時間さえあれば、本堂のお掃除、庫裡の雑巾がけをしておられました。お寺に来られた方には、必ずおやつを持って帰ってもらっていたのも懐かしいです。今でも、その時のうれしかったことを懐かしんでお話される方がたくさんおられます。
大きな傘のような母でした。
(坊守 島田 孝子 談)

2003年05月01日 法話
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