三法印

法のたより(三法印①諸行無常②諸法無我③涅槃寂静)
平成15年3月20日午後2時彼岸会法座 住職挨拶より

皆さん、仏教の一番の出発点は「ありとあらゆるものは変化している」と、いう事であります。何一つとしてじっとしているものは有りません。こういうことをお釈迦様は言っておられます。だから、子供でもだんだん変化していますから、赤ちゃんのままであれば困るんですね。だんだん成長して大きくなっていく。そして、段々と年をとって行く。何もかも変化していますね。私の体も変化しているのです。60兆の細胞が絶えず寝ても覚めても活動してくれています。だから、じっとしているものは何も有りません。心も体も動いているのです。宇宙万物も空気も木も黒板もすべてのものが変化している。変化してないものは一つも無いという事です。当たり前のことでございますけど私たちは思い間違いをしているのです。どういう風に思い間違いをしているかというと、「有る」と思っているのです。
何でも「有る」と、「私の名誉が有る」「私の地位がある」と思ったり、「私の物が有る」「家族が有る」「財産がある」「国がある」と、「有る」という考え方がおかしいですよと、お釈迦様が指摘されるんですね。「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という言葉は、すべてのものは変化していますよ。なのに私は変化しないものが「ある」と、霊魂があると、心があると、このように思うこと執着することが間違いですよ。真理を真理として受け取っていない考え方ですよ。有るという所、私が有るという所からこだわっていくわけです。そういうところから戦争になったり争いが起こるのです。変化しないものは何も無い。本当だなと思います。
そして、全てのものは持ちつ持たれつで存在しているのです。独立しているものは何も無いのです。一本の木にしてもいろいろなものが寄り集まって、たくさんの無限といってよいほどの原因があって結果が生まれているのです。一番近い直接的な原因と、それを取り巻く間接的な原因それを縁といいますが、言葉を変えて言えば因縁によって仮に存在しているのです。そういうふうにお釈迦様は世界を見られました。だから、それを「諸法無我(しょほうむが)」と言われた。しかし、私たちは「国がある」「国のプライドがある」と、このように執着(しゅうじゃく)していくところから支配をしようとか、領土を拡大しようとか、いろいろな欲望が出てくる。簡単なことですが、諸行無常と諸法無我と言ったことは仏教の基本的なことであり本当のことをおっしゃって下さって「ああ、私はこだわっているなあ」「私はやはり愚かだなあ」と言うことですね。本当の世界のあり方を考えようと教えられるわけでございます。
そして本当のものは何か?「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」お悟りの世界は永遠なるものであり静かなものである。私達の心は常に心電図みたいに動いている。だから真理をひとたびも会得したことが無いのです。私達は賢いように思っているが何も知らない。心がざわざわしていますからひとたびも真理を感知、感得したことが無いのです。愚かなものなのです。しかし、私は正しい賢い善人だと、こんな風に思っているのは間違いですよ。と、いうことをお釈迦様が教えて下さっています。
そこで、仏様の涅槃、本当の悟りの世界が最高の目覚めなのです.その智慧が最高なのです。それを学び取って人生のより所とし、生命として生きなさい。そこに幸せがあるのです。平和が、自由があるのです。と、いうことをお釈迦様は教えて下さっています。諸行無常・諸法無我・涅槃寂静ということを皆様にご紹介しましたが、これは上座部(じょうざぶ)(小乗)仏教の旗印です。この正しい基本的な仏教の真理を教えていただいて「ああ、なんと私は愚かだったのか?間違いだったのか。こだわりばかりしている人間だったのか。」とうことを気づかされて真実の本当のより所となるものはどこでしょうか。と言うことをあこがれ、仰がしていただくのが、わたしたちの仏教の道です。大乗仏教の旗印は「一実相印(いちじっそういん)」と言いまして、実相を旗印として学んでいくのです。
そういう所を聖徳太子が見極められまして、天寿国曼荼羅(てんじゅこくまんだら)というものをお作りになりました。そこに「世間虚仮(せけんこけ) 唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」という言葉がかかれてあります。この世の中の事、すべての人間関係は一生懸命生きなければならないけれども、本当のものでは有りませんよ。仮のものですよ。仏様は本当に目覚めの世界から真実を明かして証明して下さっています。「世間虚仮 唯仏是真」このお言葉は、大きいです。そうするとこだわりから一歩さがるじゃないですか。この世の事ばかりで、あの人がこう言った。この人がこう言った。私は正しい。あの人は間違っている。と、こんな風で行きますとごつごつした人生しか過ごすことが出来ない。だけど世間は虚仮ですよ、私も虚仮ですよ。仏様が真実ですよ。これが聖徳太子のお言葉です。
そこからお彼岸が始まったと思います。お彼岸は世間虚仮を言葉を変えて厭離穢土と、この世の中は汚い世界である。これを厭い、これを超えていきましょう。そして、欣求浄土、願うべきはお浄土、仏様の世界。清らかな世界、智慧と慈悲に満ちたすばらしい世界。輝きの世界、光の世界を目指して行きましょうと、厭離穢土、欣求浄土というのが聖徳太子の「世間虚仮 唯仏是真」という言葉を延長してお彼岸の行事が始まったのではないかと思っております。彼岸の元の考え方は日本では聖徳太子のお考え、それは、お釈迦様の最初に言われた三法印からずっと来ている。人生を否定する。肯定じゃなくて否定するという。否定して本当の肯定に転ずるんです。否定なくして本当の凱歌は上げられないと思いますけれども。どうぞ教えをいただいた私達は心してお彼岸をお迎えし、いつもまじめに頂戴して、なおご家族の方々に、周辺の方々に伝えて行く。そのことがやはり平和への道になることと思います。長い目で見ますと、宗教というのが大事で、人類が正しいみ教えに目覚めて、本当の平和の哲学、宗教である仏教がずっと伝わっていくということを念じておるしだいです。

2003年04月01日 法話
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