若不生者、不取正覚

2月20日(木)午後2時 定例法座 住職挨拶より

庭の紅梅のつぼみもふくらみかけまして春の訪れを感じます。
宗教は人生の根本的な問題になってまいります。できるだけ世界の問題にも関心を持ち、出来る支援をさせてもらわなければなりませんが、肝心の問題を忘れてはなりません。この本堂では、自分の人生、迷いを離れて、本当の安心(あんじん)、人間に生まれさせていただいた真の目的、これを完成する道を聞かせていただくことに絞り込んで、いろいろと法座活動をさせていただいているのでございます。ここに大きなお軸を掲げさせていただいたのですが(写真参照)門徒の方は、この文字だけは覚えていただきたいというご文です。
「若不生者 不取正覚」(にゃくふしょうじゃ ふしゅしょうがく) このお言葉をどうか生涯ですね、八つの文字だけで、十分私たちの人生が開かれてまいります。光を放っている言葉ですから、どうぞ生涯これを記憶し味わっていただきたいと思います。私たちの本山は西本願寺です。本願というのは、「大無量寿経」に説かれてあります。四十八願が説かれてある、全てが阿弥陀如来の本願でありますけれども、その一番中心が第十八願ですね。第十八願のお言葉なんですね。一切経が七千数百巻が残されてありますけれども、この「若不生者 不取正覚」(にゃくふしょうじゃ ふしゅしょうがく)は、四十八願の中でも第十八願にだけ誓われたお言葉でございます。あとの四十七願にはこの言葉はございません。「若不爾者 不取正覚」(にゃくふにしゃ ふしゅしょうがく)とか、「不取正覚」は、すべての願に出ておりますけれども、「若不生者 不取正覚」(にゃくふしょうじゃ ふしゅしょうがく)という言葉は一切経の中でも「大無量寿経」の中でも、第十八願文にだけ出ている言葉であるということです。このお言葉を親鸞聖人が一番重要視されたわけでございます。そこから、浄土真宗が開かれたといってもいいお言葉ですので、どうぞご記憶いただきまして、このお言葉を仰いでいただけたらと思うことでございます。「若し生まれずば 正覚を取らじ」と、阿弥陀如来様が約束して下さった。誓って下さった。願って下さった。私たちに向かって「あなたをもし悟りの世界に生まれさすことが出来なかったら、私は正覚を取りません。切腹します。」と、こういう誓いが第十八願に書かれてあるんでございます。
言葉を変えて言えば「心配するな 必ず救う」という阿弥陀様の全身全霊の叫びがこの八文字にかけられておるのです。「信ぜよ さらば救われん」とか、「たたけよ さらば開かれん」そういうものではなくて、阿弥陀様の方から「お願いだから どうかあなたを助けさせて下さい」と、阿弥陀様の方から願って下さって、お誓い下さって、約束下さって、そして、私が助からなかったら阿弥陀様は悟りの世界には行かないと。「私も正覚を取らじ」ですから、「私も地獄へ一緒に落ちて行きますよ。しかし、最後には必ずあなたを救い取ります。」という内容を含んだお言葉であります。このお言葉が出ておりますので、親鸞聖人は、四十八願中、もちろん、善導大師も法然上人も、曇鸞大師も、あるいは竜樹菩薩・天親菩薩も第十八願が一切経の一番かなめのご本願であると、釈尊はこの言葉を言いたかったんだということで、浄土真宗を開かれたわけでございます。稲垣瑞剱先生のご生涯もこの八文字を明け暮れ、念じられ、阿弥陀如来を仰がれ、九十七年の生涯を歩んでいかれた大切なお言葉なのです。
どうぞ浄土真宗のご門徒の方には、この文字だけは、漢文ですが、覚えてもらわないといけません。浄土真宗を聞きに行っておられますけれども、何を、どういうお言葉を持っておられますか?とか、どういうみ教えですか?と聞かれますと、「如来様は私たちに、あなたを救わなかったら私も地獄へ落ちるぞ」と、「私も切腹するぞ」と、一口で言えば「心配するな 必ず救う」という、智慧と慈悲の大きな力で私を抱いてかかえて、懐の中におさめ取って下さっている。「阿弥陀様がおわしますんだ」と、その一言を明らかに信じさせてもらったら、もう、人生は怖くない。そういう究極のお言葉でございますので、どうぞ、繰り返し、念じ、味わっていただきたいと思います。

2003年03月01日 法話
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