淨教寺 副住職 島田 春樹
今年(平成16年・2004年)は、当淨教寺の歴史が始まりまして760年になります。また、昨年は三条通りに寺基を移しまして400年の節目の年でした。『十七条憲法』と耳にしますと「和を以て貴しと為す」「篤く三宝を敬え。三宝とは仏法僧これなり」というお言葉を思い浮かべますが、なかなか十七条通して読ませていただく機会はありません。ご承知のように、宗祖親鸞聖人は、聖徳太子を和国の教主(日本に出られたお釈迦様である)と讃えて、「和国の教主聖徳皇 広大恩徳謝しがたし 一心に帰命したてまつり 奉讃不退ならしめよ」と、和讃されてます。
昨年5月、永代経法要の時に高田慈昭先生が法話の中で『十七条憲法』の第10条についてご紹介くださいました。その中に凡夫(ただびと)という言葉が出てきます。親鸞聖人もよく「煩悩具足の凡夫」ということをお手紙の中でお使いでしたが、その精神の出処は、聖徳太子の『十七条憲法』第10条の文にあったということを知らせていただきました。親鸞聖人は『一念多念証文』の中で「凡夫」について「凡夫というは無明煩悩我らが身に満ち満ちて欲も多く怒り腹立ち、そねみ、ねたむこころ多く暇なくして臨終の一年に至るまでとどまらずきえずたえず」と解釈されておられます。またその『十七条憲法』第10条の中に「ここをもって彼の人瞋(いか)るといえども、還りて我が失(あやまち)を恐れよ。」
意訳:(他人が(自分に対して)怒っても、むしろ自分のほうに過失がないか反省せよ。)というお言葉があります。
しかしながらもとをただせば、お釈迦様の言葉として『法句経』には「怨みは怨みによって果たされず、忍を行じてのみ、よく怨みを解くことを得る。これ不変の真理なり。」と、説かれています。仏教の教えによって、凡夫であることを知らされていくなかに、身を慎む謙虚さ、思いやりが生まれてくるということを上記の言葉が示してくださっています。この精神こそ、仏教精神の非暴力の根源ではないかと思います。
昨年11月に来寧されたチベット仏教のダライ・ラマ法王十四世も、「非暴力と慈悲」の精神を貫かれ1989年にノーベル平和賞を受賞されました。
「聖徳太子『十七条憲法』を読む-日本の理想-(大法輪閣発行)」の著者・岡野守也さんは、本の中で、「聖徳太子『十七条憲法』は、「和を以て貴しと為す」という言葉から始まる。「日本という国のまず何よりも優先的に追求すべき国家理想は平和である」という、高らかな宣言である。・・・・・私たちの国日本は、そういう高い理想をかかげて出発した国である。かってそういう高い理想をもったトップリーダーのいた国なのである。政治経済が混迷・低迷し、何よりも精神性が荒廃し、日本人全体が、進むべき方向を見失いつつある今こそ、日本という国の理想がどこにあったかを読者と一緒に再発見・再確認したい。」と、述べておられます。まったく同感です。そのためにも皆さんに親しみやすい形で聖徳太子の『十七条憲法』を毎日繰り返し読んでいただけるような小冊子を作る予定です。
とりあえず、毎月少しずつ『十七条憲法』の内容を原文と現代語訳であじわっていきたいと思います。
参考資料
「浄土真宗 聖典」(本願寺出版社) 「聖典 浄土真宗」(明治書院)
「聖徳太子『十七条憲法』を読むー日本の理想ー」岡野守也著(大法輪閣)
十七条憲法原文 | 現代語訳文 |
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一にいわく、和(やわらぎ)を以って貴しとなし、忤(さから)うことなきを宗(むね)となす。人みな党(たむら)あり。また達(さと)れるもの少なし。ここを以ってあるいは君・父に順(したが)わず、たちまち隣・里に違(たが)う。しかれども上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなはち事(こと)の理(ことわり)自(おのずから)に通(とお)る。何事か成らざらん。 | 第一条 うちとけて相互になごみあうこと(平和)をもっとも大切にし、背き逆らわないことを規範とせよ。人間にはみな自分の仲間というものがあり、また物事の道理をわきまえた者は少ない。そのために、リーダーや親に従わず、隣り近所で争いを起こすことになってしまうのだ。だが、上も下も和らいで睦まじく、執われの心を離れて問題を話し合えるなら、自然に事実と真理が一致する。そうすれば実現できないことは何もない。 |
二にいわく、篤(あつ)く三宝を敬え。三宝とは佛・法・僧なり。すなわち、四生(よつのうまれ)に終帰(ついのよりどころ)・万国(よろずのくに)の極宗(きわめのむね)なり。何れの世・何れの人かこの法(みのり)を貴ばざらん。人はなはだ悪(あ)しきものすくなし。よく教えらるれば従う。それ三宝に帰(よ)りまつらずば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。 | 第二条 まごころから三宝を敬え。三宝とは、佛と、その真理の教えと、それに従う人々(僧)である。それはすべての生きとし生けるものの最後のよりどころであり、あらゆる国の究極の規範である。どんな時代、どんな人がこの真理を貴ばずにいられるだろう。人間には極悪のものはいない。よく教えれば(真理に)従うものである。もし三宝をよりどころにするのでなければ、他に何によって我執にとらわれたよこしまな曲がった心や行いを正すことができようか。 |
三にいわく、詔(みことのり)を承(うけたまわ)りてはかならず謹(つつし)め。君をばすなわち天(あめ)とす。臣(やつこらま)をばすなわち地(つち)とす。天は覆い地は載せて、四(よつ)の時順(したが)い行はれて、万(よろず)の気(しるし)、通うことを得(う)。地、天を覆はんとするときは、すなわち壊(やぶ)るることを致さまくのみ。ここをもって、君のたまうときは臣承る、上(かみ)行うときは下(しも)靡(なび)く。故(それ)詔を承りてはかならず慎(つつし)め、謹(つつし)まずはおのずからに敗(やぶ)れなん。 | 第三条 詔を受けたならば、かならず謹んで受けよ。君主は天のようであり、官僚は地のようである。天は民を覆い、地は民を載せるものである。四季が順調に移り行くことによって、すべての生き物の生気が通じることができる。地が天を覆うようなことをする時は、破壊を必ずまねくであろう。こういうわけで、君主が命じたならば官僚は承る。上が行う時には下はそれに従うのである。それゆえ、詔を受けたならばかならず謹んで受けよ。謹んで受けなければ、おのずから事は失敗するだろう。 |
四にいわく、群卿(まちきみたち)・百寮(もものつかさ)、礼(いや)びをもって本(もと)とせよ。それ民(おおみたから)を治(おさ)むるの本、かならず礼びにあり。上(かみ)礼びなきときは下(しも)斉(ととの)はらず、下礼びなきときはもってかならず罪(つみ)あり。ここをもって、群臣(まちきみたち)礼びあるときは位(くらい)の次(ついで)乱(みだ)れず、百姓(おおみたから)礼びあるときは国家(あめのした)おのづからに治まる。 | 第四条 もろもろの官吏は、礼(うやまい、礼儀)を根本とせよ。そもそも民を治める根本は礼にあるからである。上に礼がなければ、下も秩序が調わない。下に礼がなければ、かならず犯罪が起こる。こういうわけで、もろもろの官吏に礼がある時は、社会秩序は乱れない。もろもろの民に礼がある時は、国家はおのずから治まるのである。 |
五にいわく、餐(あじわいのむさぼり)を絶ち、欲(たからのほしみ)を棄てて明らかに訴訟(うったえ)を弁(わきま)へよ。それ百姓の訴えは、一日に千事あり。一日すら尚しかり、いわんや歳を累(かさ)ねておや。このごろ訴えを治むる者、利を得るを常とし、賄(まいない)を見てはことわりをもうすを聴く。すなわち財あるものの訴えは、石をもって水に投ぐるがごとし。乏(とぼ)しきものの訴えは、水をもって石に投ぐるに似たり。ここをもって、貧しき民はすなわちよるところを知らず。臣道(しんどう)またここに闕(か)く。 | 第五条 <役人たるものは>飲み食いの貪りを絶ち、金銭的な欲を捨てて、民の訴訟を明白に裁くように。民の訴えは一日に千件にも及ぶほどである。一日でさえそうであるのに、まして歳をかさねていくとますますである。このごろは、訴えを取り扱う者が私的利益を得るのが通常となってしまい、賄賂を取ってから言い分を聞いている。そのため、財産のある者の訴えは、石を水に投げ入れるよう(に通るの)である。貧しい者の訴えは、水を石に投げかけるように(聴き入れられないの)である。こういうわけで、貧しい者は、どうしていいかわからなくなる。こうしたことでは、また君に仕える官吏としての道が書けるのである。 |
六にいわく、悪を懲(こ)らし善を勧むるは、古(いにしえ)の良き典(のり)なり。ここをもって、人の善を匿(かく)すことなく、悪を見てはかならず匡(ただ)せ。それ諂(へつら)い詐(あざむ)く者は、国家を覆(くつがえ)す利器なり。人民を絶つ鋒剣(ほうけん)なり。また佞(かだ)み媚(こ)ぶる者は、上に対しては好みて下の過ちを説き、下にいては逢(あ)いては上の失を誹謗(そし)る。それ、これらの人は、まな君に忠なく、民に仁なし。これ大乱の本なり。 | 第六条 悪を懲らしめ善を勧めるのは、古くからのよいしきたりである。だから、他人の善を隠すことなく、悪を見たらかならず正せ。へつらい欺くものは、国家を覆す鋭利な武器のようなものであり、人民を絶えさせる鋭い刃の剣のようなものである。またおもねり媚びる者は、目上に対しては好んで目下の過失の告げ口をし、目下に向かっては目上の過失を非難する。こういう人間はすべて、君に対しては忠誠心がなく、民に対しては仁徳がない。これは、世の中の大乱の元である。 |
七にいわく、人おのおの任あり。掌(つかさど)ること、濫(みだ)れざるべし。それ賢哲、官に任ずるときは、頌(ほ)むる声すなわち起こり、かん者(かんじゃ)、官を有(たも)つときは、禍乱(からん)すなわち繁(しげ)し。世に、生まれながら知る人少なし。よく念(おも)いて聖となる。事、大少となく、人を得てかならず治(おさ)まる。時、急緩(きゅうかん)となく、賢に遇いておのずから寛なり。これによりて、国家永久にして、社稷(しゃしょく)危(あや)うからず、故に、古(いにしえ)の聖王(せいおう)、官のために人を求む。人のために官を求めず。 | 第七条 人にはそれぞれの人にしかできないことがある。自分がどの仕事を掌握すべきか混同してはならない。賢者が官に就く時、たちまち賞賛の声が起こり、邪(よこしま)なものが官に就いている時は、災害や混乱がしばしばある。この世には生まれながらにして聡明な人は少ない。よく真理を心にとめることによって聖者になる。事は大小にかかわらず、適任の人を得るとかならず治まるものである。時代が激しくても穏やかでも、賢者がいれば、自然にのびやかで豊かになる。これによって、国家は永久になり、人の群れは危うくなることがない。それゆえに、古代の聖王は、官職のために人を求めたのであり、人のために官職を設けたりはしなかったのである。 |
八にいわく、群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、早く朝(まか)りて晏(おそ)く退(まか)でよ。公事(こうじ)?(いとま)なし。終日(ひねもす)にも尽くしがたし。ここをもって、遅く朝(まか)るときは急なることに逮(およ)ばず。早く退(まか)るときはかならず事尽くさず。 | 第八条 もろもろの官吏たちは、朝早く出仕し夕方遅くに退出せよ。公の仕事には油断する暇はない。一日すべてでも終わらせがたい。だから、朝遅く出仕するならば、緊急のことに間に合わない。早く退出するならば、かならず仕事を成し遂げられなくなるだろう。 |
九にいわく、信はこれ義の本(もと)なり。事ごとに信あるべし。それ善悪成敗はかならず信にあり。群臣(ぐんしん)ともに信あるときは、何事か成らざらん。群臣信なきときは、万事ことごとくに敗れん。 | 第九条 誠実さは正しい道の根本である。何事にも誠実であるべきである。善も悪も、成功も失敗も、かならず誠実さのあるなしによる。官吏たちがみな誠実であれば、どんなことでも成し遂げられないことはない。官吏たちに誠実さがなければ、万事ことごとく失敗するであろう。 |
十にいわく、こころの忿(いか)りを絶ち、おもての瞋(いか)りを棄(す)てて、人の違(たが)うことを怒(いか)らざれ。人みな心あり。心おのおの執(と)るところあり。かれ是(ぜ)とすれば、われは非(ひ)とする。われ是とすれば、かれ非とす。われはかならずしも聖(ひじり)にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫(ぼんぶ)のみ。是非の理、?(たれ)かよく定むべけんや。あいともに賢愚なること、鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。ここをもって、かの人は瞋るといえども、かえってわが失を恐れよ。われひとり得たりといえども、衆に従いて同じく挙(おこな)え。 | 第十条 心の中の怒りを絶ち、表情に出る怒りを捨て、人が逆らっても激怒してはならない。人にはみなそれぞれの心がある。その心にはおのおのこだわるところがある。彼が正しいと考えることを、私はまちがっていると考え、私が正しいと考えることを、かれはまちがっていると考える。私がかならずしも聖者であるわけではなく、彼が愚者であるわけではない。どちらも共に凡夫にすぎないのである。正しいかまちがっているかの道理を、誰が〔絶対的に〕判定できるだろうか。お互いに賢者であり愚者であるのは、金の輪にどこという端がないようなものである。このゆえに、他人が〔自分に対して〕怒っても、むしろ自分のほうに過失がないか反省せよ。自分一人が真理をつかんでいても、多くの人に従って同じように行動せよ。 |
十一にいわく、功過(こうか)を明らかに察(み)て、賞罰はかならず当てよ。このごろ賞は功においてせず、罰は罪においてせず。事を執る群卿(ぐんけい)、賞罰を明らかにすべし。 | 第十一条 功績と過失を明らかに観察して、賞罰をかならず正当なものにせよ。最近は、功績に賞を与えず、罪に罰を与えないことがある。政務を執る官吏たちは、賞罰を明快にすべきである。 |
十二にいわく、国司(くにのつかさ)・国造(くにのみやつこ)、百姓(ひゃくせい)に斂(おさ)めとることなかれ。国に二君なし。民に両主なし。卒土(そつど)の兆民(ちょうみん)は王をもって主となす。所任(しょにん)の官司(かんじ)はみなこれ王民なり。何ぞあえて公と、百姓に賦斂(おさめと)らん。 | 第十二条 もろもろの地方長官は、民たちから勝手に税を取り立てては成らない。国に二君はなく、民に二人の君主はいない。国すべての多数の民は天皇を君主とする任命された官吏はみな天皇の民である。公的な税の他に私的な税を取り立てることが許されるはずはない。 |
十三にいわく、もろもろの官に任ぜる者、同じく職掌(しょくしょう)を知れ。あるいは病し、あるいは使(つかい)して、事を闕(おこた)ることあらん。しかれども知ることを得る日には、和(あまな)うことむかしより識(し)れるがごとくにせよ。それ与(あずか)り聞かずということをもって、公務をな妨(さまた)げそ。 | 第十三条 もろもろの官職に任命された者は、お互いに職務内容を知り合うようにせよ。あるいは病気になったり、あるいは出張して、仕事ができないことがあるだろう。しかし、(復帰して)職務内容を知ることができたら、協力して以前からずっと了解しあっていたとおりにせよ。自分が参加せず話を聞いていないからといって、公務を妨げることのないようにせよ。 |
十四にいわく、群臣百寮(ぐんしんひゃくりょう)、嫉妬(しっと)あることなかれ。われすでに人を嫉(うらや)むときは、人またわれを嫉む。嫉妬の患(うれ)え、その極(きわまり)を知らず。このゆえに、智おのれに勝るときは悦(よろこ)ばず、才おのれに優(まさ)るときは嫉妬(ねた)む。ここをもって五百歳にしていまし今賢(こんけん)に遇うとも、千載にしてひとりの聖(ひじり)を待つこと難し。それ賢聖(けんせい)を得ずば、何をもってか国を治めん | 第十四条 もろもろの官吏は、嫉妬があってはならない。自分が妬(ねた)めば、人もまた自分を妬む。嫉妬のもたらす災いは限界がない。それゆえに、〔人の〕知恵が自分より勝っていると喜ばず、才能が自分より優れていると嫉妬する。そういうわけで、五百年たってようやく今現れた賢者に出遇うことも、千年に一人の聖人を待つこともできない。〔だが〕賢者・聖人が得られなければ、何によって国を治めることができるというのだろうか。 |
十五にいわく、私(わたくし)を背きて公に向くは、これ臣の道なり。およそ人、私(わたくし)あるときはかならず恨(うら)みあり。憾(うら)みあるときはかならず同(ととのお)らず。同(ととのお)らざるときは私をもって公を妨(さまた)ぐ。憾み起こるときは制に違(たが)い、法を害(やぶ)る。ゆえに初めの章に云う、上下和諧(じょうげわかい)せよ、と。それまたこの情(こころ)か。 | 第十五条 私利・私欲に背を向け公の利益に向かうことこそ、貴族・官吏の道である。おおよそ人に私心があるときにはかならず人を恨むものであり、恨みを抱けば共同できない。共同しなければ、私心で公務を妨げることになる。恨みが起これば、制度に違犯し、法をしんがいすることになる。それゆえに最初の章で、上下和らぎ協力せよ、と言ったのである。それもまた、この心を述べたのである。 |
十六にいわく、民(たみ)を使うに時をもってするは、古(いにしえ)の良き典(のり)なり。ゆえに、冬の月に間(いとま)あらば、もって民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑(のうそう)の節なり。民を使うべからず。それ農(なりわい)せずば、何をか食らわん。桑(くわと)らずば何をか服(き)ん。 | 第十六条 人民を使うに時期を選ぶのは、古来のよいしきたりである。それゆえ、冬の月に暇があるようなら、民を使うべきである。春から秋に到るまでは、農繁期である。民を使ってはならない。いったい農耕しなかったならば、何を食べるのであろうか。養蚕しなければ何を着るのであろうか。 |
十七にいわく、それ事はひとり断(さだ)むべからず。かならず衆(しゅう)とともに論(あげつら)うべし。少事(しょうじ)はこれ軽(かろ)し。かならずしも衆とすべからず。ただ大事(だいじ)を論(あげつら)うに逮(およ)びては、もしは失(しつ)あらんことを疑う。ゆえに衆と相(あい)弁(わきま)うるときは、辞(こと)すなわち理(り)を得ん。 | 第十七条 そもそも事は独断で決めるべきではない。かならず、皆と一緒に議論すべきである。小さなことは軽いので、かならずしも皆と相談する必要はない。ただ大きな事を議論するに当たっては、あるいは過失がありはしないかと疑われる。それゆえに皆と互いに是非を検証し合えば、その命題が理にかなうであろう。 |