御正忌報恩講(親鸞聖人のご命日)

「報恩講」とは、親鸞聖人のご恩に報いる法事です。
親鸞聖人のご命日は、旧暦で11月28日。
新暦で1月16日です。
東本願寺では11月21日から28日まで勤められ、
西本願寺では、新暦の1月9日から16日まで
「御正忌(ごしょうき)報恩講(ほうおんこう)」が勤められます。(来年1月16日で755回目の報恩講となります。)

なぜ、亡くなられた日を「命日」というのでしょうか?「死亡年月日」とか「忌日」という言い方もありますが、一般的には「ご命日」と表現することが多いように思います。
「命日」とは、漢字から読み解くと、「命(いのち)の日」ということになります。
ここには2つの意味が込められているのではないかと思います。

1つ目は、まさしく「亡くなられた日」は、「往生された日」すなわち「浄土へ往きて生まれられた日」という「往生」の意味で「新たなる命(いのち)をいただいた日」で命日と受け止めることができます。

2つ目は、私どもに先立って亡くなった方が残してくださった「メッセージ」を受け取る大切な日だと思います。命日をご縁として仏事を勤め、「どうか、あなたがこの世に生を受けた、その命(いのち)の意味について明らかにしてほしい」「その命(いのち)を輝かし、命(いのち)の行く末を一人一人が明らかにしていってほしい」と、問いを投げかけられているということです。ご命日・法事は、一人一人が自分のかけがえのない命(いのち)の意味について明らかにする日です。

親鸞聖人が尊敬された兄弟子の聖(せい)覚法印(かくほういん)は『唯信鈔(ゆいしんしょう)』の中で、

「今生(こんじょう)ゆめのうちのちぎりをしるべとして、 来世(らいせ)さとりのまへの縁(えん)をむすばんとなり。 われおくれば人(ひと)にみちびかれ、 われさきだたば人(ひと)をみちびかん。 生々(しょうじょう)に善友ぜん(ぬ)となりてたがひに仏道(ぶつどう)を修(しゅ)せしめ、 世々(せせ)に知識(ちしき)としてともに迷執(めいしゅう)をたたん。」

意味:今生の夢のような結びつきを道しるべとして、来世のさとりに向かう縁としたいものです。私が浄土に往き遅れたならば先人に導かれ、私が先立ったならば後から来る人を導きましょう。次の世に生まれ変わり死に変わるとも、つねに善き親友となって、お互いに仏道を修し、いつの世にも人々の先達となって、ともに迷いと執われの世界から解脱するべく努めていきましょう。

とのお言葉を残され、また、親鸞聖人は『教行信証』の最後に道綽(どうしゃく)禅師(ぜんじ)の『安楽集』のご文を引用されて、

「前(さき)に生(うま)れんものは後(のち)を導(みちび)き、 後(のち)に生(うま)れんひとは前(さき)を訪(とぶら)へ、 連続(れんぞく)無窮(むぐう)にして、 願(ねが)はくは休止(くし)せざらしめんと欲(ほっ)す。 無辺(むへん)の生死海(しょうじかい)を尽(つく)さんがためのゆゑなり。 」

意味:浄土に前に生れるものは後のものを導き、 後に生れるものは前に生まれたもののあとを尋ねてまいりましょう。果てしなくつらなって途切れることのないように願います。 それは、 数限りない迷いの人々を残らず救うためです。

と記され、阿弥陀さま、そして親鸞聖人とともに私を導いて下さる先人のご恩に感謝し、後の者(今を生きる私)たちを仏道に導いて下さる大切なご縁となっていただいていると喜ばせていただきましょう。と教えて下さいます。この大切なご縁を見つめさせていただくのが「命日」であり、「報恩講」の大きな意味であると受止めさせていただきましょう。

2017年11月01日 法話
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