セミのたとえ

セミが一生を謳歌するように、ここかしこで力強く一生懸命鳴いています。
このセミの声を、うっとうしいと聞くか?2週間弱のいのちを精一杯輝かせて鳴いているなと聞くか?感じ方は様々だと思います。
セミの種類にもよりますね。アブラゼミやミンミンゼミ、クマゼミの鳴き声は暑苦しく聞こえます。その代わりにひぐらしやツクツクボウシは物悲しい、子供のころは、「ああ、もう夏休みも終わりだな~・・・宿題出来てない!」なんて思って聞いていたものです。

〈蟪蛄(けいこ)春秋(しゅんじゅう)を識(し)らず、伊虫(いちゅう)あに朱陽(しゅよう)の節(せつ)を知(し)らんや〉

という文があります。

意味:蟪蛄(けいこ)(夏ぜみ・ひぐらし)は(夏だけの命で)、春と秋を知らない。季節(春秋)を知らないのであるから、この虫は、どうして今の朱(しゅ)陽(よう)(夏)が夏であることを知りえようか。

上のご文は、親鸞聖人が『教行信証』に曇鸞大師の『浄土論註』を引用されたものです。そこでは『観無量寿経』の十念念仏(十声の念仏)について諭される譬えとして引用されています。

「『観無量寿経』に十声(とこえ)の念仏と説かれているのは、 これによって浄土に往生することが決定することを明かしているのであって、 必ずしもその念仏の数を知らなければならないということではない。 たとえば、 蝉は春や秋を知らない。 だから、 この虫は夏ということも知らない。というようなものである。 ただ春夏秋冬を知っている人間が、 蝉が鳴くのは夏だというだけである。 たとえば十声念仏することによって往生が決定するということも、 神通力を持っている仏が仰せになるだけである。 衆生においては、 ただ念仏し続けて、 心が別のことに移らなければ、 それでよいのである。 どうして念仏の数を知る必要があろうか。」

というものです。

また、いろんな解釈が出来るのではないかと思います。

①お浄土とか、阿弥陀さまといわれてもなかなか理解できないと言う方に対して。
たとえば、セミに「秋には紅葉し、冬には雪が降り、春には桜が咲くんだよ」と説明しても「そんなのはあなたの作り話でしょ!」と受け付けないセミもいるでしょうし、「そうなんですか。そんな季節もあるのですね!」と受け入れるセミもあるでしょう。すなわち自分で経験したり体験したことしか本当だと思わない、そんな方に対して仏さま(お悟り)の眼で見られた世界があるのですよと理解していただく手立てとしてあじわうことができるのではないでしょうか。

②そのお悟りの眼がなかったならば、セしまだミが自分の生きている季節を夏だということも知らずに過ごしているように、私たちも今生きている人間の世界を、娑婆(忍土・人生は苦なり)とも知らずにいのち終わってしまうのではないでしょうか?そんな私に「目指すべき世界は浄土なのだよ!」と指示して下さるのが仏法です。

③そして、セミが一生懸命に鳴き続けているように、私たちも阿弥陀さまのお慈悲のはたらきを聴聞し続けていくことが大切なのです。そういうことを教えてくれている尊いお譬えであります。

2017年08月01日 法話
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