みなさんは、沖縄の佐喜眞美術館をご存知でしょうか?
先月6月23日が戦後72年目の沖縄慰霊の日(沖縄全戦没者追悼法要の日)であることをご存知でしたでしょうか?
日本全土が先の大戦で焦土と化し300万人の命が戦火に消えていきました。広島・長崎の原爆。大阪・東京の大空襲に対し、沖縄の戦争は地上戦です。その悲惨さを表現したのが佐喜眞美術館にある丸木位里・俊夫妻によって描かれた「沖縄戦の図」です。
佐喜眞美術館は、佐喜眞道夫さんによって建てられた私設美術館です。佐喜眞さんは、熊本に疎開して中学2年の時にお母さまをなくされたことがご縁となり、高校時代は熊本市の真宗寺の「仏教青年会」に参加されたそうです。「正信偈」のお勤めのあと、『教行信証』や『歎異抄』の輪読会で、深い悩みを抱えた人たちの話を心の高まりを抑えながら聞いていた熱心な浄土真宗の青年だったそうです。
また、丸木位里さんのお母さんも浄土真宗で、お仏壇でお経をあげないと、三度のご飯も食べさせてもらえなかったほどの熱心な安芸門徒だったそうです。そして、奥様の俊さんも北海道の貧しい開拓村の善性寺という浄土真宗のお寺の子として生まれたそうです。
丸木位里さんは、「あの戦争が起こった時に自分は成人に達していた。しかし戦争を食い止めることができなかった。その罪において自分は地獄に行くに違いない」との慚愧の中、ヒロシマを見てしまった画家として「原爆の図」を描き始め「沖縄戦の図」を描くことへとつながって行ったのです。
出会うべくして出会ったこの3人の中には、親鸞聖人の「地獄は一定すみかぞかし」「世の中安穏なれ、仏法弘まれ」のおこころが深く溶け込んでいることが読み取れます。
ぜひ、みなさんもこの機会に「沖縄戦の図」「佐喜眞美術館」「丸木夫妻」の名をこころに留めていただき、ご縁があれば普天間飛行場を西に眺める場所にある現地でこの絵をご覧いただきたいものです。
佐喜眞美術館 パンフレットより 「沖縄戦の図」
丸木さんたちはなぜ自分たちが沖縄戦を描くのか、ということについて、次のように言っています。「日本という国は明治からずっと侵略戦争ばかりをしてきた。その結末として、日本の主要都市は東京をはじめ、すべて焼け野原になった。この体験を通して日本人は戦争を空襲のことだと思ってしまい、戦争の本質を知らないのだ。こういう国はまた戦争をするかもしれない。万一もう一回戦争をしたなら、今度は取り返しのつかないことが起こってしまうだろう。だから、地上戦を体験した沖縄の人に教えてもらって「沖縄戦の図」を描く必要があるのだ。」と。(「アートで平和をつくる」より)