和国の教主 聖徳王(聖徳太子)

報恩講シーズン到来です!

親鸞聖人のご生涯を学ばせていただきましょう。親鸞聖人のご恩を偲び、聖人がお示しくださった阿弥陀如来のはたらき・本願力(必ずあなたを浄土に生まれさせる)を聴聞させていただく大切な法要です。ぜひご参詣下さい。
親鸞聖人は、聖徳太子を「和国の教主 聖徳王」と尊び、お敬いされました。

聖人は多くの和讃をお作りになりました。「三帖和讃」は有名です。
『浄土和讃』は、宝治2年(1248年)76歳頃の著作と言われ118首の和讃からなります。
『高僧和讃』は、『浄土和讃』と同じく宝治2年(1248年)76歳頃の著作と言われ「七高僧」を讃える119首の和讃からなります。
『正像末和讃』は、正嘉2年(1258年)86歳頃の著作と言われ116首の和讃からなります。
また、聖徳太子を讃える『皇太子聖徳奉讃』75首(83歳頃)、『大日本国粟散王聖徳太子奉讃』114首(85歳頃) があり、如何に親鸞聖人が聖徳太子を尊んでおられたかが偲ばれます。

淨教寺では、第24代島田義昭前々住職が聖徳太子のご安置場所を、通常であれば本堂お内陣の右余間にご安置するのですが、奈良にゆかりがあり、親鸞聖人が大変尊ばれたということでご本尊阿弥陀如来の左側・御代前に聖徳太子様をご安置しております。ぜひ本堂のご参詣いただきご確認ください。

今月の「法雷カレンダー」のご和讃が、『正像末和讃』の中の「皇太子聖徳奉讃」(11首)の一首です。

  久遠劫よりこの世まで
あはれみましますしるしには
仏智不思議につけしめて
善悪・浄穢もなかりけり

(意味)はかり知れない無限の過去より今の世まで、 聖徳太子が人びとを憐れみくださっている証拠には、 仏の智慧の尊さや言葉に尽くせない不思議さに導き入れて、 善人も悪人も戒律をまもる人も煩悩を持つ身であっても全ての人が救われていくのです。

親鸞聖人は、聖徳太子を観音菩薩の化身と見ておられました。この観音菩薩のはたらきは、ひとえに善悪・浄穢のへだてなく、そのまま一切の衆生を浄土に往生させなかったならば正覚を取らじ(悟りを開かない)という、阿弥陀如来の第18願の大慈悲にもとづくものでした。そのおかげによって、私たち凡夫は、悪人は悪人ながら煩悩の身をかかえたままで、仏智の不思議を尊び、喜びながらこの苦難多き人生を歩み、生き抜くことができるのでしょう。
また、このご和讃の前後には、

大慈救世聖徳皇
父のごとくにおはします
大悲救世観世音
母のごとくにおはします
(意味)大慈の救世観音の化身である聖徳太子は、 父のようでいらっしゃる。 大悲の救世観音は、 母のようでいらっしゃる。

和国の教主聖徳皇
広大恩徳謝しがたし
一心に帰命したてまつり
奉讃不退ならしめよ
(意味)日本国の教主・聖徳太子の広大なご恩は感謝し尽くすことができません。 二心なく太子のみ言葉に順(したが)って、 阿弥陀如来に帰依し奉り、 本願他力を信じ、 怠ることなく阿弥陀如来の功徳を讃嘆し称名報恩につとめてまいりましょう。

と、聖徳太子を讃えておられます。聖徳太子とその本地である観音菩薩は、ともに阿弥陀如来の慈悲の徳のあらわれであり、法然上人を介して、他力念仏の道に導き入れて下さったという喜びを語っておられます。それは、父や母がみずからの子を愛し養育するようのものであると譬えらえているのです。
ややもすれば、この世の虚仮にして常に移り変わる健康やお金や立身出世や財産のことのみを優先している私たちに、本当の父母のあり方として、子や孫に伝えるべき道を「仏法第一、本願他力の道である」とこれらのご和讃を通して教えて下さっているのです。
報恩講にあたり、深く味わっていただきたいものです。

2016年10月01日 法話
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