『動植綵絵』(どうしょくさいえ)とは、近世日本の画家・伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)の代表作の一つで江戸時代中期にあたる宝暦7年頃(1757年)から明和3年(1766年)頃にかけて制作された、30幅からなる日本画であり、動植物を描いた彩色画のことです。
臨済宗・相国寺では毎年6月17日に厳修される「観音懺法会」の折に、これら33幅を掛けて参拝者に一般公開し、参道は出店が立ち並ぶほど賑わったといわれています。明治時代の廃仏毀釈の波で窮乏した時期の明治22年(1889年)3月『釈迦三尊像』3幅だけは寺に残し、若冲の寄進状と売茶翁の一行書と共に『動植綵絵』30幅は明治天皇に献納されました。この時の下賜金1万円のおかげで、相国寺は1万8千坪の敷地を維持できたそうです。
皇室御物となった『動植綵絵』は、重要な賓客を迎える際の装飾としてその都度使用され、『動植綵絵』の力強い描線と濃彩は明治宮殿の洋風の内装とも好く調和したそうです。
現在は宮内庁が管理し、2007年に相国寺において120年ぶりに『動植綵絵』全30幅と『釈迦三尊像』3幅が同時公開されました。またこの度、若冲生誕300周年を記念して東京都美術館において東京では初めて『動植綵絵』全30幅と『釈迦三尊像』3幅が同時公開されました。
若冲は仏教の「山川草木悉皆成仏」「一切衆生悉有仏性」の思想になぞらえてこの『動植綵絵』を描いたといわれています。
若冲は自然界に見られる芸術的には美的でない、葉の虫食いや、変色、花びらや木の枝の変わった形など、ありのままの自然の対象物をそのままに描いています。
自然の世界から導き出される動物・植物の本来の美しさを、隠すことなく表現された素晴らしい作品です。『動植綵絵』全30幅に描かれた生き物たちは、小さな蟻やカエル。魚や貝殻、鶏やたくさんの鳥たちなど身近にいる生き物を中心に、鳳凰や孔雀などの高貴な鳥を加えて描かれています。いつかお釈迦様の教えに触れるであろう、生きとし生ける全ての、いのちあるものを描き出し、そのいのち一つ一つを慈しみ尊ぶように生き物のいのちの輝きを描き出している若冲の慈悲のこころがあふれでている作品です。
『動植綵絵』全30幅の「池辺群虫図」は、小さな池を舞台に瓢箪が実る中に、さまざまな虫たちが共存している様子を分け隔てなく描き、生き物すべてが平等にいのちを与えられ、さまざまないのちによって支えられている生態系の様子が、いろんなすがたの昆虫として描かれています。若冲の慈しんだ小さな命が輝きを見せている尊い絵です。
若冲のこの絵から、私たちも仏教徒として、小さないのちにも慈しみのこころをもつように心がけたいものです。
鎌倉時代の唐招提寺中興の祖・大悲菩薩覚盛(だいひぼさつ・かくじょう)上人が、修行中に蚊にさされているのを見て、それをたたこうとした弟子に、「自分の血を与えるのも菩薩行である」とおっしゃって戒めたという故事があります。戒行清廉なるその徳をたたえ、「せめて団扇で蚊を払って差し上げよう」と、上人が亡くなられたときに法華寺の尼僧がハート型うちわを供えたことが唐招提寺「うちわまき」(5月19日)の始まりだそうです。
これからの時期、蚊やゴキブリが目に留まりますが、むやみに殺すのではなく、せめても慚愧の心をもって「ごめんね!私の都合で殺してしまって。」と、ゴキブリや蚊に対してのお詫びの思いをもって対処することが大切ではないでしょうか。
6月の法雷カレンダーの言葉は難しいように思いますが、
自分の都合で、蚊やゴキブリを殺してしまうような私を目当てに、「どうか阿弥陀如来の智慧と慈悲のこころ(どうぞ、私にあなたを助けさせておくれ!)に気づいてくれよ!」とのはたらきが「南無阿弥陀仏」のよびごえとなって、到り届いているのですよ。ということを親鸞聖人はこのように和讃されたのであります。
願土(がんど)にいたればすみやかに
無上涅槃(むじょうねはん)を証(しょう)してぞ
すなはち大悲(だいひ)をおこすなり
これを回向(えこう)となづけたり意味:本願によってできた浄土に往生すれば即座に、 この上もないすばらしいさとりを得て、 大慈悲心を起こすのである。 これを回向と名づけられた。