信心定まるとき 往生定まるなり

若不生者のちかひゆゑ  信楽まことにときいたり
一念慶喜するひとは  往生かならずさだまりぬ
(法雷カレンダー3月のことば)

意味:阿弥陀如来は、 第十八願に十方衆生がもし浄土に往生することができないなら、 われは仏とならないと誓われた。この如来の真心が衆生に受け容れられるよう宿善が芽を開き、 信心が起こる時節が到来し、信の一念のよろこびのある人は、 必ず往生するように定まる利益が与えられるのである。
(本願寺出版社、聖典セミナー三帖和讃Ⅰ『浄土和讃』黒田覚忍著より)

浄土真宗とは、浄土に生まれるべき道を明らかに示した真実なる教え(宗教)ということです。
私は、いったい何のために生まれ、何のために生き、死んだらどうなるのか(どこへ行くのか)?
この根本的な問題に解答を与えてくれるものが、浄土真宗です。
この和讃は、和讃全体の中でも浄土真宗のみ教えの重要なポイントを示された和讃です、よくお聴聞を重ねて味読していただきたいものです。
親鸞聖人はお手紙の中で次のようなおことばも残しておられます。あわせて味読ください。

真実信心の行人は、 摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。 このゆゑに臨終まつことなし、 来迎たのむことなし。 信心の定まるとき往生また定まるなり。
(意味:真実の信心を得た人は、阿弥陀仏が摂め取ってお捨てにならないので*正定聚の位に定まっています。 だから、 臨終の時まで待つ必要もありませんし、 来迎をたよりにする必要もありません。 信心が定まるとのときに往生もまた定まるのです。)

まもなく、東日本大震災から5年を迎えます。毎月、ボランティア僧侶・金沢豊さんが陸前高田市に傾聴訪問活動に出向いてくれています。今月はそんな中で出会った方をご紹介いたします。

 

無常の中であの日を生きる力に

宮城県気仙沼市「すがとよ酒店」経営 菅原文子さん

宮城県気仙沼市でご主人と酒店を営んでいた菅原文子さんは、大震災で夫と夫の両親を亡くした。やりきれなさと悔しさをお酒のラベルに託して、震災から一カ月半で〝負げねぇぞ気仙沼〟を造った。それが西本願寺門前の店で販売されたことが縁で、京都のラジオ放送に出演、大きな広がりになった。菅原さんは深く浄土真宗へ関わっていく。(「東日本大震災 その時、そして復興へ」一部抜粋)

 

浄土真宗との出遇い

巡る月日はかくも早く、アッと言う間に三回忌を迎えたように思います。
私は以前ご縁をいただいていた金沢豊さんにお電話をしました。
金沢さんは浄土真宗の傾聴ボランティアとして陸前高田市で活動されていたのです。もしご都合がよろしかったら、我が家(曹洞宗)の三回忌にお経をあげていただきたいと申し出ました。宗派が違うのに申し訳ないと思いましたが、これまで私がどれだけ浄土真宗の皆さんに救われてきたことか、ご法話をいただけるならば家族にも聞かせてあげたいと思ったことは自然の成り行きと思いました。
金沢さんは快く受けてくださり、お忙しい中かけつけてくださったのです。寒風吹きすさぶ中、お経をあげていただき、そして「無常は希望である」とご法話をいただきました。二年前の天変地異を思い出すような荒れた寒い日、本当はもっとお聞きしたかった、本当にそう思いました。そして思いがけないことに、その時のご法話が私の長男を救ってくれたのでした。

長男は、震災で突然世帯主になり事業主になりました。多くの方々に頑張れよと肩を叩かれ、怒濤のように押し寄せるさまざまなことに対応出来ずに苦しんでいたことを知っていました。
「俺は辛い毎日で苦しかったけれど、法話を聞いて救われた。辛いことは続かない、変化してゆく。きっといい方向に進める。頑張ってみる」と言うのです。正直思ってもみないことでした。四十歳目前の息子に聞いてもらいたいとは思っていましたが、まさか息子の心にそれほど響くとは思っていなかったのです。救われたと言う息子の言葉に、私もまた救われたのでした。目の前で津波にさらわれ行方不明になった夫。二階の茶の間で冷たくなった義父と義母。涙も出なかったあの日。あの日より以上の悲しみはなく、あの日より以上の苦しみもありません。今私の身体の中にある大きな悲しみの塊は私を支え、迷わず歩めるようにバランスを取ってくれているように思うのです。今ある命を存分に生きよう。そしてかけがえのない毎日を明日に繋ぐために、一日一日を大切に感謝して暮らそうと思います。

めぐりしご縁に導かれ  さらなる歩みの踏み出しに  生きる力をさずかりて

2016年03月01日 法話
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