平和の鐘

8月6日8:15広島原爆投下時間、8月9日11:02長崎原爆投下時間に平和で戦争のない世界を念じて梵鐘を撞かせていただきました。当日は校区の小学校の子供たち、ユネスコ協会の方々などがお集まりいただき、勤行、お焼香の後一人ずつ鐘を撞きました。

お釈迦さまは『法句経』の中で
「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身を(に)ひきくらぺて、殺してはならぬ。殺させてはならぬ。」
「すべての者は暴力におびえ、すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺させてはならぬ。」 と誡めておられます。

第二次世界大戦では世界の戦争被害者は民間人を含めて5000万人から8000万人と言われています。日本国内だけでも軍人212万人、民間人50万人から100万人の合わせて約312万人の尊い命が、争いの巻き添えの中奪われていったことになります。

「ユネスコ憲章」の前文に
「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」とあります。
お釈迦さまの『法句経』の言葉と共に深く味わう必要があります。

「己が身にひきくらべて」とは、「殺される側に立ってみて」ということです。すなわち「殺される側の恐怖・思いを、我が身に引き寄せて」ということです。国家や集団が、戦争やテロなど暴力を行使して人を殺すとき、必ず何らかの「正義」の名のもとに自らの行為を正当化しますが、そこには暴力を受ける側への「己が身にひきくらべる」思いが欠けています。殺される者の苦しみや恐怖を共感することが、非暴力・不殺生という生き方につながるのではないでしょうか。

「戦争は人の心の中で生れるものである」ということも、自分の都合という自己の世界しか見てない、自分の物差しに合わないものは排除していくという相手側の世界が全く見えてないことをさしています。そんな私のこころの中に「平和のとりでを築く」ことは大変なように思いますが、「己が身にひきくらべて」見たらよいのです。それだけのことがなかなかできないところに争いが絶えない原因があります。それによって日常も些細なことで対立を繰り返しています。如何に自己への執着が深く強いものであるか。またそれを柔軟にすることの難しさを思い知らされます。

金子みすずさんの詩が胸にひびきます。

「大漁」

朝焼け小焼けだ大漁だ おおばイワシの大漁だ
浜はまつりのようだけど 海の中では何万の イワシのとむらいするだろう

 

法燈会(ほうとうえ)再開

本堂修復工事も完了して二年ぶりに境内にて法燈会を再開いたしました。初日、準備中に夕立の雨・嵐で並べたカップが倒れ、雨水でローソクが濡れ開催が危ぶまれましたが、スタッフのみなさまの努力で無事燈火できました。
奈良公園の「燈花会」を見て、JR奈良駅に帰られる方々が立ち寄られ、立体的な境内のいろどりに感嘆の声をあげられる姿に、スタッフ一同準備の疲れもふきとび大きな活力をいただきました。ご来場いただけなかった皆様は写真でお楽しみください。

 

来月いよいよ 本堂修復工事落慶法要

たびたびお知らせいたしておりますが、いよいよ10月17日・18日の秋の法要が近づいてまいりました。ぜひご予定頂きご参詣下さいますようご案内申し上げます。

◎ お稚児さん 募集中
◎ 献華(けんか)の晴れ着の娘さん 募集中

2015年09月01日 法話
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