*秋の法要:10月17日(土)18日(日)
帰敬式(おかみそり)、法名拝受、内願法名も可能
浄土真宗では、仏弟子になるあかしとして本願寺ご門主様からおかみそりを頂戴して「法名」をいただきます。「法名」はお釈迦さまのお弟子になったということで釋の一字をいただき「釋○○」と頂戴いたします。阿弥陀如来・親鸞聖人の御前で浄土真宗の門徒としての自覚をあらたにし、お念仏申す日暮を送ることを誓う、私たちにとって最も大切な儀式です。
原則として、京都・西本願寺での拝受となります。しかしこの度、淨教寺本堂にて「淨教寺本堂平成大修復工事落成慶讃法要」を西本願寺前ご門主様がご親修され、その際に帰敬式をしていただくこととなりました。またとない恵まれたご勝縁であります。ぜひこの機会に帰敬式を受式していただき、共にお念仏を喜ぶ人生を歩みましょう。また、ご希望の名前や文字を入れることができる「内願法名」という申請も受け付けていますのでご相談ください。
稚児行列(お練り行列)
親鸞聖人のご恩をたたえる50年に一度の法要「親鸞聖人750回大遠忌法要」に華を添える行列が稚児行列です。幼稚園(年少・3~4歳)から小学校のお子さんで男女を問わず募集いたします。ホテルフジタにて着替えを済ませて、マイクロバスでJR奈良駅に集合します。淨教寺までの三条通りを僧侶や淨教寺役員、寺族、献華の女性と共に、その先頭を華やかに飾り練り歩いていただきます。保護者の方々もご一緒にお歩きいただいたら結構かと思います。
足袋、草履の準備もありますが、履き慣れない方はズック靴でも結構です。幼稚園以下の方でも、せっかくの記念ですから衣装を着けてベビーカーに乗せて参加される方もおられますのでご検討ください。多くのご参加をお待ちいたしております。
浄土真宗の「浄」の文字のあじわい
みなさんは、浄土真宗の「浄」、淨教寺の「淨」どちも、新旧の違いはありますが、よく使われると思います。そこで漢字の成り立ちに疑問を持たれたことはありませんか?
私も、電報をお願いする時に電話口で「浄」は浄土真宗の「浄」で「サンズイ」に「争う」という字です。と説明しながら、「お浄土」という世界は「争い」のない世界と聞いているのに、何で「争う」という字が使われているのだろう?と、疑問に思いつつ過ごして来ました。
昨年の報恩講のお話の中で、そのことに触れられるお話がありましたので、ここでご紹介いたします。
「浄」の字の「サンズイ」は「水」を表します。ですから「水が争う」という字です。「水が争う」とはどういう状態をいうのでしょうか?
いろんな答えがあると思いますが、あじわいの世界として、「水が争う」というのは、たとえば、山に降った雨が山奥の激流を流れ下っていく時に、木の根に当たり、岩にぶつかって水しぶきを上げている状態とか、滝が流れ落ちていく時の状態、滝つぼに落ちて水しぶきをあげている状態などが想像されます。
そんな状態の水は、絶えずきれいな状態が作り出されているのではないでしょうか?
ですから、「浄」という字は、水がぶつかり合ってきれいな状態を表している字、動きのある状態を表す字とあじわうことができるのではないでしょうか?
その逆に、動きのない水。たとえば、ため池の水で、雨水も流れ込まないような状態の池の水は、いずれ澱んで、腐って、臭いを発していくのではないでしょうか?
このようにあじわうと、「浄」という字は、絶えず動いて、活動して清らかな状態を表している字と受け止めることができるのではないでしょうか。
ですから、「お浄土」という世界は、じっとしている世界ではないのです。絶えず動いてこの娑婆世界へ、そして私に向ってはたらきかけている世界として味わうことができるのが「浄」という字の意味なのでしょう。
先人の方々(先に旅立って行かれた方々)が、阿弥陀さまと共に大慈悲のおはたらきを「南無阿弥陀仏」となって、はたらきかけて下さっているのでしょう。
私たちの合わす手の中に、お念仏申す響きの中に、還って来て下さっている世界があるのです。私を導いて下さった故人を偲び、尊い仏縁のあったことをよろこばせていただきましょう。