ご本尊入仏・本堂再開

本堂屋根瓦葺き替え・耐震化工事に伴い平成25年7月4日に奈良国立博物館へお移りになられたご本尊が1年9ヶ月ぶりに平成27年3月13日に淨教寺へおもどりになられました。

午前9時30分輸送車が到着し寺族、役員一同でお出迎えいたし、梱包された状態で本堂へお入りになりました。その後手際よく梱包が解かれ(写真①)台座の確認、説明をお聞きし、お宮殿に置かれました。(写真②)慎重にご本尊が紐解かれ台座の上にご安置されました。(写真③)光背が取り付けられ、無事お宮殿へご入仏されました。淨教寺の中心として見護っていてくださいます。

阿弥陀如来立像のお姿(写真④)
座っていると、すぐには動き出せません。私達の阿弥陀如来様は、迷っている私達をすばやく抱き取り、阿弥陀様の国、極楽浄土へ共に歩んでくださるお姿です。
私が忘れているときも、阿弥陀如来様は忘れることなく24時間365日、立ち続けて見護ってくださっている慈悲のおこころをあらわしています。

阿弥陀様の手の意味(印相・サイン)
右手 ⇒「招喚(しょうかん)の印(いん)」「施無畏印(せむいいん)」
ひろい阿弥陀の世界へ帰っておいでと招いてる相。
心配することはない、というこころをあらわしています。
左手 ⇒「摂取(せっしゅ)の印(いん)」「与(よ)願印(がんいん)」
どんなことがあってもあなたを見捨てることはない。この阿弥陀にまかせよ!との相。
必ず護り、救うというこころをあらわしています。

 

本堂の行事 再開

4月4日(土) 花まつり子どものつどい

2年ぶりの花まつり子どものつどい、毎月第4土曜日に開催している子ども会の参加者の減少で心配していましたが、当日は快晴のもと30名の子供たち、そして保護者、スタッフ合わせて約80名の参加者がお釈迦さまのご誕生をお祝いさせていただきました。

お釈迦さまのご生涯を紙芝居で見せてもらった後、花御堂のお釈迦さまの誕生仏に甘茶をそそいでお祝いしました。その甘茶の甘くておいしい事に子供たちはビックリしていました。お待ちかねのゲームは京都女子大学の宗教教育部のお姉さんたちがたくさん楽しませてくれました。そして初めての人形劇を見せてもらい優しさと思いやりを伝える内容に子どもたちは真剣に見いっていました。

 

灌仏会(花まつり)コンサート4月8日(水)

一般的に雨は皆さん嫌なものですよね。でもそれが有り難い雨に変わった話をここで一つ。
淨教寺では例年境内でお釈迦さまのご誕生を寿ぐ「花まつり(灌仏会)」という行事をしております。しだれ桜の花の下で、お抹茶をいただきながらコンサートを楽しんでいただいております。
ところが今年は冷たい雨、関東では雪まで降るほど寒い日でした。
急遽、本堂でコンサート、庫裡でお抹茶席と設営変更いたしました。
しかし、よくよく考えると雨のお蔭で、平成の大修復工事が完了したまっさらな本堂に上がっていただき、あたたかい暖房のきいた中でお過ごしいただくことができました。これはすべて冷たい雨のお蔭だなと雨に感謝した次第です。

午前10時から「テノール歌手・二塚直樹さんのコンサート」素晴らしい歌声を妹の二塚裕美さんのピアノが盛り立て新調なった本堂に美しい演奏を響かせてくださいました。また、出産間近い奥様(ソプラノ歌手)二塚未和さんも飛び入りで仏教讃歌を歌って下さり、みなさん感動の涙を流して喜んでいただきました。

休憩時間には、庫裡にてお抹茶席を松山志乃先生の社中の皆さんがお接待下さりおいしいお菓子とお点前を楽しませていただきました。
また、三条通りではテントの中で甘茶の振る舞いをしていただき雨にもかかわらず約2千杯の甘茶が手に取られたようです。
午後1時からは、「お琴、尺八、お三味線」の演奏。花咲山の弾き語り演奏を始めて披露していただき違った世界を鑑賞させていただきました。また奏者の方のエピソードなど普段聞けない楽器の秘話や研鑚のご苦労を聞かせていただき有り難い時間でした。

午後3時からは4年前の東日本大震災で被災された方々からお話を聴く座談会が、現地で支援を続ける淨教寺僧侶の金沢豊さん司会のもと開催されました。
「本願寺新報 2015年(平成27年)5月1日号」の記事を掲載いたします。

これからの支援考える・被災者招き花まつりで座談会
奈良市・淨教寺(島田春樹住職)は4月8日、東日本大震災被災者の座談会を花まつりの関連行事として開き、これからの被災者支援について考えた。
同寺衆徒で、本願寺派総合研究所研究員として被災地で戸別訪問などの支援活動を続けている金沢豊さんの活動を応援しようと、門信徒会が企画したもの。金沢さんの司会で、岩手県の地元新聞記者の斎藤孟さんと鈴木英里さん、陸前高田市の市民有志でつくる傾聴グループ「こころのもり」でボランティアに取り組む西條正夫さんと熊谷明美さんの4人が登壇した(写真)。斎藤さんは、陸前高田市の震災直後と現在の状況を写真を用いて説明。「土地造成工事や災害公営住宅の完成など復興への歩みが進められる一方、遺族への取材やアンケートから心のケアの重要性が顕著」と末長い支援の大切さを訴えた。
自らも被災し肉親を亡くした鈴木さんは「2万人の死が抽象的なものとして捉えられ、3月11日が記念日のように扱われているが、被災者にとっては大事な人が亡くなった命日。現地に行けなくても、そのことを個々が気に掛けてもらうだけで大きな支援となる」と話した。
熊谷さんは震災時のつらい経験を涙ながらに話し、「傾聴活動に関わりながら一人ひとりの気持ちを受けとめていきたい」と語った。
グループ代表の西條さんは、仮設住宅を訪ね、傾聴を通して被災者の苦悩を和らげる活動を紹介。「被災者の言葉をそのまま受け止めるのではなく、その言葉に秘められた心を聴かなければならない」と丁寧にすくい取る大切さを語った。
まとめでは、「震災の教訓を生かせるように家族間で考え、防災を自分のこととして考えてほしい」と締めくくられた。

 

* 奈良礼賛*

奈良県立美術館にて特別展「奈良礼賛展」が開催されています。この展覧会は、一言で言えば、奈良の歴史・文化と美術の再発見の展示です。
明治時代それは今回の展覧会のテーマになっている岡倉天心、フェノロサが活躍した時代です。
当時は廃仏毀釈や西欧文化の影響を受けて、寺社などの伝世品が相次いで海外等へ流出しました。

その窮状を危惧した岡倉天心、フェノロサは、政府の要請で奈良、京都を中心に文化財調査を行いました。
岡倉天心、フェノロサは、この奈良で天平仏など奈良の文化財に深い感動を覚え、明治21年6月5日「淨教寺」で講演を行いました。
アメリカ出身のフェノロサは、講演の中(通訳・岡倉天心)で、「奈良は宗教や美術のみならず多くのことで大陸と関係をもって、他の多くの国は滅亡、或いは戦乱を経て昔の面影を残していないが、この奈良は実に中央アジアの世界の博物館と称しても良い。西欧の真似ばかりせずに日本人として誇れる高い文化創造を期待する。」と知事さんをはじめとする500名の聴衆に語りかけました。その講演概要のパネルは、第6展示室に掲示されています。これがきっかけとなって、東京美術学校(芸大)や博物館の設置、古社寺保存法などが制定されました。

そして、フェノロサは古代からギリシャ、ローマと日本とが太いパイプでつながっていることを西欧に訴えていきました。
今回の展示は、岡倉天心とフェノロサが奈良の美の発見をテーマに、その弟子である横山大観、菱田春草、下村寒山ら112件の美術作品と美術資料により、奈良の人々の活動も交えて「美の本質」を展示しております。
まさに、奈良の歴史・文化力の展示と言えるものです。ぜひご鑑賞ください。

2015年05月01日 法話
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