(株)丸紅の前身である(株)丸紅商店の初代社長を務めた伊藤長兵衛氏(1868~1941)は、前号で紹介した伊藤忠商事創業者の初代・伊藤忠兵衛の兄六代目伊藤長兵衛の娘やすの婿養子として若林家から伊藤家にはいり、明治26年七代目長兵衛を襲名しています。
彼は、昭和16年に亡くなるまでに、(株)丸紅商店の経営に腕を振るうとともに、明治42年2月から同45年1月まで豊郷村八代目村長を務め、大正14年には財団法人「豊郷病院」を設立しました。また子女養育のために転居した芦屋において仏教の精神を忘れないために地域の人々とともに法話に親しむことができる場所があればとの思いから大正12年に崇信会を創設し仏教講演会などの活動を始めました。そして昭和2年に芦屋仏教会館を建設しています。
伊藤忠兵衛氏をはじめ、この伊藤長兵衛氏も浄土真宗の盛んな地で育った近江商人として経営者としての功績もさることながら篤実な仏教徒(浄土真宗門徒)であったということがよくわかります。
そのことを示す彼の言葉がありますのでここにご紹介いたします。
「 生活と信仰 世間(せけん)虚仮(こけ)、唯仏(ゆいぶつ)是真(ぜしん) 」
伊藤 長兵衛(長堂)
私がまだ二十四歳、博多の親爺の店で働いていたとき、七里恒順和上という大徳からお導きを受けたのが、私の信仰に入ったはじめですが、お蔭さまで今日にいたるまで日常生活に失敗もせず暮させて頂きました。ことに今の私は九年間の長きにわたる病床にあり、その間一歩も外に出られない寂寥(せきりょう)(ものさみしいこと)がどれだけ仏さまによって慰められたことでしょう。見舞に来てくださるお方からよく「退屈なことでしょう」と同情されますが「いつも仏さまと一緒」のお蔭で無聊(ぶりょう)(退屈なこと・気がはれないこと)に苦しむことを知りません。
お師匠の七里和上の教えは信仰の第一を生死の問題とされました。現代の青年たちは、おそらくみな来世の救いよりもまず現世の生活を救ってくれというでしょう。だがわれわれの真宗の信仰によると現世は信仰を得た瞬間にはじめて救われる。肉体の死滅、生の終りを待たずとも南無阿彌陀仏を念ずるとき、この世の姿のままで仏の救いを受けられるというのです。もしかく考えるならばこの世をすて去ることもさして人生の重大事ではない。住む国を変える程度の気軽さになるはずです。現世来世すべてが信仰の世界、同じ感謝の世界、どちらを好み、どちらを厭うわけはないはずでしょう。まことに信仰の問題は信仰世界に生きることにあります。
死後の成仏だけではない、日々の生活に仏の光明を感ずることだと信じます。しかし信仰の世界に入ったといって直ちにあらゆる煩悩が解消するというわけではありません。人間この世に生きる間は煩悩から逃れられないもの、これがむしろ本当でしょう。だが仏の存在を信ずるものにはこの煩悩がおさえやすく、心平らかな暮しがしやすいこと、これもたしかにまた本当のことです。(中略)われわれの信仰においてもまた「信仰生活を日常生活に具現する」これが最も大切なことです。世間では信仰と生活とを離ればなれに考えている人もあるようですがこれは本当の信仰といえないのではないでしょうか。
聖徳太子のお言葉に「世(せ)間(けん)虚(こ)仮(け)、唯(ゆい)仏(ぶつ)是(ぜ)真(しん)」という仰せがあります。わずか八字に過ぎませんがこれは仏教の本質をお示しくだされた有難いお言葉だと存じます。祖師親鸞聖人はこのお言葉を柔らかく噛みくだいて「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界はよろづのこと、みなもてそら事たわ事、まことあることなきに念仏のみぞまことにておはします」とお示しくだされてあります。世間は仮りの世界だ、ただ仏のみが真だと見る、つまり現状を一度否定し、これを仏の念仏によって生かして新しく強く肯定する。そこに本当の信仰世界、目覚めた人間の生活があるのだと確信いたします。
(昭和十三年六月十一日)