黒沢明監督の「生きる」という映画があります。
物語の主人公は、平凡な、ただひたすら自分の椅子だけを長年守り続け、積極的には仕事もしない一地方の公務員であります。その彼がやっと課長の地位まで昇進しました。
ところが、ある日ふと体調の悪いことに気づき、医師の診断を受けました。その結果、自分がガンに侵されていることがわかりました。自分のいのちの残り少ないことを知ったときから、自己の生と死の問題に悩みながらの日々を過ごすようになりました。
そんなとき彼は、これまでの自分の人生に疑いを持ちはじめたのです。「自分ははたして本当に生きてきたのであろうか」と。これまでの自分は、ただ回されてきた書類に無造作に捺印するだけの人生ではなかったか、これではたして生きてきたと言えるだろうか。そんな思いから、仕事に情熱を燃やしはじめました。
そのとき、彼がまず取り組んだ仕事は、子どもたちのために公園を建設することでありました。今まで何度も住民の陳情を受けながらも、土地の問題をめぐっての抵抗や、いろいろの障害があったため手をつけられず、のらりくらりと逃げてきた課題でした。彼はともかく、それを一生の最後の仕事として積極的に取り組み、ついに立派な児童公園を完成させました。スベリ台もブランコもできあがった日の夜、公園をただ一人訪れた彼は、「自分が情熱を傾けて仕事らしい仕事をしたとすれば、それはこの公園だけだったなあ」と、感慨をこめて、できあがったばかりのブランコに腰をかけていました。これでいつ死んでもいい、本当に仕事らしい仕事がようやく一つできた。自分の一生は無意味でなかった。そんな気持ちをかみしめながら、やがてガンのためにその人生を閉じていくのです。「見真」本願寺出版社より
「独り生まれ、独り死に、独り去りて、独り来るのである。身自らこれに当たりて誰も代わることあることなし。」(大経)と言われる厳しい人生の中で、縁あって親子となり、夫婦となり、兄弟親戚として多くのご縁の中で一人ではいきられない人生を支えられ、いかされています。ただ単なる「生存」ではなく、「いのちの共感」によって感じとることのできる多くのいのちにいかされていることに気づくことが大切なのです。そしてこのいかされているいのちと気づいたとき、この私のいのちを大きく生かしていくことが私たちの生きる意味なのです。そのことをこの映画は教えてくれているように思います。
【鷹の選択】
「70年生きる鷹が教える人生の価値とは」
鷹は最高70年生きられると言われていますが、このように長生きするためには、約40年が過ぎた時に重要な決断をしなければなりません。
鷹は約40歳になると、爪が弱くなり獲物がうまく取れなくなります。
くちばしも長く曲がり、胸につくようになります。羽も重くなり、徐々に飛べなくなります。
ここで鷹は、2つの「選択」に置かれます。
このまま死ぬ時期をまつのか。苦しい自分探しの旅に出るか。
自分の変化の道を選んだ鷹は、まず山の頂上に行き巣を作ります。
その後、鷹はとても苦しいいくつかのことをやり始めます。
まずくちばしを岩で叩き、壊し、なくします。
そうすると新しいくちばしが出てきます。
それから出てきたくちばしで、爪を一つずつはぎ取ります。
そして新しい爪が生えてくると、今度は羽を一本ずつ抜きます。
こうして半年が過ぎ、新しい羽が生えてきた鷹は、新しい姿に変わります。
そしてまた空に高く飛び上がり、残りの30年間を生きていきます。
人は誰でも、過去よりは成長することを願います。
成長を望み、もっと新しい自分を見つけるためには、心の底から「変化」を期待し行動しなければなりません。
大切な人生の生きる意味に気づき、「涙」と「笑顔」で成長する自分と向き合うためには、この鷹が見せてくれたとても苦しい「選択」という勇気ある決断が必要なのかもしれません。
人生の価値は「速さ」と「広さ」ではなく、「方向性」と「深さ」にあることを忘れない。
あなたが心から探し求めている「生きる意味」とは何でしょうか?
どのような自分を求めていますか?
変わりたい自分が「こころの扉」を叩く、のであれば、その気持ちと素直に向き合い、最も大切な事を選ぶ「勇気」を忘れない。そして「成長」を求める自分を否定しない。
これが生きる意味と向き合う私たちにおくる「鷹」からの「教訓」かもしれません。
引用HPアドレス:http://matome.naver.jp/odai/2137302057431093101
5月28日(水)午後1時30分 コーラス コールピュアランド 荒井敦子先生のお話より