施本「浄土真宗聖典―勤行集―」

お経の本もたくさんありますが、報恩講の記念品として「浄土真宗聖典―勤行集―」を選ばせていただきました。
この経本の特徴は、親鸞聖人のお作りになられた500首をこえる和讃の中、『浄土和讃』(経典などによって阿弥陀仏とその浄土の徳を讃嘆した118首)『高僧和讃』(龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・道綽禅師・善導大師・源信和尚・源空上人というインド・中国・日本の七人の教えをわかりやすく讃嘆した119首)『正像末和讃』(親鸞聖人85歳以降の最晩年の信境の深まりと、正法、像法、末法の三時通入の本願念仏の気持ちをうかがうことのできる116首)の「三帖和讃」のほぼ全てが取り上げられていることです。(26ページから70ページ参照)

「和讃」とは、「やわらぎ、ほめる」と親鸞聖人ご自身がご左訓(注釈)されています。
お経のご文、七高僧のご文等をあじわいやすく、ほめたたえてその当時の詩の形式である「今様」にならってお作り下さったものです。

本願寺第八代目、蓮如上人が毎朝・晩のおつとめとして「正信偈六首引」をご制定下さいました。330首を毎日六首引きで繰り読みをすると53日で読み終えることができます。一年間で約6回お勤めをすることになります。
そうして常に親しんでいただきたいという蓮如上人のおこころが伝わってまいります。
ぜひともこの報恩講を機縁に、六首引きのお勤めを心がけてみてください。それが無理でも、せめて一首ずつでもノートに書いてあじわってみましょう。

そして出来れば暗記して下さい。時間のあるとき、気分のさえないとき、夜眠むれないとき、静かに繰り返しとなえてみてください。大きな阿弥陀様の、親鸞聖人のお慈悲を感じ取ることができるのではないでしょうか。

もう一つのこの経本の特徴は、「拝読用法語」と「まことのことば」というお経や法語の現代語訳が掲載されていることです。(147ページから190ページ)
おつとめの時に、お仏壇の前で拝読してみてください。また、場所を選ぶことなく、電車の中で、リビング・寝室で読んでみていただくとよいと思います。
人生のありのままの姿を示し、私の進むべき道がさししめされています。

 

「まことのことば」より

思えば、阿弥陀如来のはかりしれない広大な本願は、越えがたい迷いの海を渡したもう大船であり、なにものにもさまたげられないその光明は、煩悩の闇を破りたもう智慧の太陽である。
(P168・親鸞聖人 教行信証)

田があれば田に悩み、家があれば家に悩む。牛馬などの家畜類や、金銭・財産・衣食・家財道具、さては使用人にいたるまで、あればあるにつけて憂いはつきない。・・・・
また、田がなければ田をほしいと悩み、家がなければ家をほしいと悩む。牛馬などの家畜類や、金銭・財産・衣食・家財道具、さては使用人にいたるまで、なければないにつけて、またそれらをほしいと思い悩む。たまたま、ひとつが得られると他のひとつが欠け、これがあればあれがないというありさまで、つまりは、すべてを取りそろえたいと思う。そうして、やっとこれらのものがみなそろったと思っても、それはほんの束の間で、すぐにまた消え失せてしまう。       (P169・仏説無量寿経)

真実の教えは、仏説無量寿経である。この経の大意は、阿弥陀如来がすぐれた誓いをおこして、ひろく一切衆生のために法門の蔵をひらき、愚かな凡夫をあわれんで、功徳の宝である南無阿弥陀仏の名号を選んで施された。釈尊は、この世にお出ましになって種々の教法をお説きになり、とくに本願の名号という真実の利益をすべての衆生に恵もうとおぼしめされたのである。それゆえに、阿弥陀如来の本願を説くことをこの経の要とし、仏の名号を経の本質とするのである。
(P172・親鸞聖人 教行信証)

仏法は、いそがしい世間の仕事をさしおいて聞かねばならぬ。それなのに、あなたは、ひまができたら聞こうと思ってはいないか。それはあさはかなことである。仏法のうえからいえば、老少不定の身であるから、明日があると思ってはならない。    (P174・蓮如上人御一代記聞書)

『浄土真宗註釈版聖典』も合わせて拝読されることをお勧めいたします。
ぜひご家庭に1冊こころのお薬として常備して下さい。

2012年10月01日 法話
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