法燈会・得度受式

8月7日・8日開催

第6回「法燈会」を今年も多くのみなさまのご協力により開催いたしました。二千人近い近隣・観光客の方々が、1,200個余りの境内の幻想的な灯りを満喫されました。
ほのかに揺れる燈火、またその明かりをいろんな思いを持って眺める人たちの様子を見ながら、親鸞聖人のお言葉をあじわってみました。

『この如来は光明なり。光明は智慧なり。智慧はひかりのかたちなり。智慧またかたちなければ不可思議光仏ともうすなり。』(『一念多念証文』より)

意 訳
「この阿弥陀如来は光明である。光明は智慧である。阿弥陀如来の智慧はひかり(光明)というすがたをとるのである。智慧はまた、すがたにとらわれないから、この如来を不可思議光仏というのである。」

「阿弥陀如来の智慧はひかり(光明)というすがたをとるのである。」

ひかり(光明)のはたらきってどんなことが考えられるでしょうか?そこから、阿弥陀如来の智慧のはたらきの一端をうかがい知ることができるのではないでしょうか。

1、ひかり(光明)は闇を破るはたらき。
真っ暗闇の中では、何も見えませんが、ひかり(光明)によって闇が破られ、ひかりが差し込むことによって、見えなかったものが照らし出されて明らかになります。
たとえば、暗闇の中で見えなかった障害物につまずいて転んでケガをしていたかもしれません。また、お部屋の掃除をしているとき、ひかりの中を舞うチリやホコリにびっくりすることがあります。

2、ひかり(光明)はあたためるはたらき。
あたためることによって、氷を水に、水を水蒸気に。本質を変えることなく形を変えていきます。

親鸞聖人はご和讃の中に、

罪障(ざいしょう)功徳(くどく)の体(たい)となる 氷と水のごとくにて
氷多きに水多し さわり多きに徳多し

と、詠われています。

先月号のブータン国王の「龍」のお話にも通じるものがあるのではないでしょうか。

3、ひかり(光明)の方向に向かわせるはたらき。
植物はひかりの方向に向って育っていきます。すなわち光の方向に向かわせるはたらきがあります。

4、ひかり(光明)は育てるはたらき。
植物は種をまき、水をやり、肥料を与えても、光が当たらなければ育ちません。ものをはぐくみ、成長させるはたらきがあります。

まとめ
親鸞聖人はご和讃の中に、

無碍光(むげこう)如来(にょらい)の名号(みょうごう)と かの光明(こうみょう)智相(ちそう)とは
無明(むみょう)長夜(じょうや)の闇(あん)を破(は)し 衆生(しゅじょう)の志願(しがん)をみてたまふ

と、詠われています

阿弥陀如来の智慧の光明のはたらきは、①私の煩悩(欲、いかり、ねたみ等)、無明長夜の闇を破り、②その煩悩の罪深さを気づかせると同時に、慈悲の功徳の大きさにも気づかせるはたらきがあります。
そして、③私の進むべき浄土往生の方向に向かわせ、④往生成仏の道が成就するようにあらゆる手だてをもってお育て下さり、そして私たち衆生の上に必ず往生成仏させるという阿弥陀仏の願いを満たしてくださっているのです。

阿弥陀如来の智慧の光明にいだかれつつ、お彼岸・報恩講を迎えさせていただきましょう。

 

得度受式 お披露目 

住職の長女、沙樹子(京都女子高校3年生)が8月2日から12日の得度習礼を許可され、無事に京都・桂の西山別院における11日間の習礼を完了しました。8月11日西本願寺にて浄土真宗本願寺派(西本願寺)第24世大谷光真ご門主さまより「度牒(どちょう)」と法名「釋(しゃく) 樹(じゅ)心(しん)」を頂戴いたしました。

8月20日の定例法座にて淨教寺本堂でご参詣の皆様と一緒に「正信偈六首引き」のおつとめのあと、得度受式のお披露目をさせていただきました。
前住職から「私も得度をしました50数年前に、〝得度をしたからといって一人前の僧侶になったのではない。あくまでも僧侶入門の儀式だから、これからしっかりと研鑽をつむように〟とのお祝いの言葉をいただきました。同じ言葉を孫にも贈りたいと思います。」と、お話しがありました。

沙樹子からも「これからみなさまとご一緒に、親鸞聖人の歩まれた浄土真実の道を深く学び、御同朋御同行として皆様の声に耳を傾けて研鑽していきたいと思いますので、よろしくお導き下さい。」と、あいさつがありました。みなさまよろしくお願いいたします。

2012年09月01日 法話
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