かくれ念仏「涙石」・ブータン国王「龍」の話

9月に「鹿児島かくれ念仏」を訪ねます

かくれ念仏とは

九州南部の薩摩藩(鹿児島と宮崎の一部)と相良藩(熊本県の人吉地方)で、300年余りのあいだ一向宗(浄土真宗)の信仰が禁止されていました。そんな中人々は命がけで信仰を守り抜いていきました。その信仰の形態が「かくれ念仏」と呼ばれますが、あまり知られていないのが現状です。

 

時代

人吉藩(相良氏)の方が早く、弘治元年(1555年)、相良晴広は分国法「相良氏法度」に、一向宗(浄土真宗)の禁止を追加しました。
薩摩藩(島津家)による公式の禁止令は慶長6年(1601年)に出されています。これは慶長4年(1599年)日向国において庄内の乱が勃発、この首謀者である伊集院忠真の父・忠棟が熱心な一向宗徒という説があり、乱後に改めて正式に一向宗が禁止されたのはこのことが大いに影響しているものという説があります。
以後両藩に於いては約300年にわたり禁制が続けられましたが、明治9年9月5日に信教の自由令が布告され、念仏禁制が解かれました。

 

原因

その1:「阿弥陀如来の前には、全ての生きとし生けるいのちは等しく尊い」という浄土真宗の教えが、人々の間に流布すると、当時の封建体制にそぐわないばかりか、時の為政者にとって非常に危険な思想だったからと言われています。

その2:そして真宗信者の結束力による統一的な行動が、政治的に利用され、一向一揆へと進展する危険性をはらんで、封建体制にとっては危険を感ずるものであったからと言われています。

その3:また、本願寺の財政は、もっぱら全国の真宗門徒の浄財によっていました。そのため薩摩の門徒からも本願寺へ大量の金品がお布施として送られていました。その分、藩の財政を圧迫することになり、一向宗禁止令は、そのためだとも言われています。

 

厳しい弾圧とお念仏のともしび

◇天保6~14(1835~43)年には、特に厳しい取り締まりがあり、獄中に投じられた者数百名、押収されたご本尊2000幅、そして門徒14万人が摘発され拷問にかけられました。当時の人口は55万人なので、その検挙数に驚きます。真宗禁制時代、役人たちは信者の疑いあるものを捕らえ、大きな石を抱かせて自白を迫ったと伝えられています。それで、信者たちの苦しみの涙がそそがれた石という意味で、「涙石」と呼ばれています。
逆境のなかで、信者らは、藩の役人に見つからないよう、雨や嵐など天候の悪い深夜を選び、人里離れた山中の「ガマ」と呼ばれる洞穴(ほらあな)に仏具を隠し、法座を開いて法悦(ほうえつ)の一夜を過ごしました。

人々は、強烈な弾圧を受けるなかで、本願寺からは寄付を募られ、志納金を奨励される一方、藩からは厳しい年貢の取り立てを受けました。弾圧と二重収奪の歴史のなかで、貧しさや飢えに耐えながら、隠れて300年の信仰を守ったのでした。

厳しい弾圧のもとでも信仰の灯は消えることはありませんでした。中でも、人吉球磨の人々に正しいお念仏を説き、密告訴によって捕われ、獄門に処された山田村の伝助さんの遺徳は、今も多くの人々に深い崇敬と感動をもって語り継がれています。
天明二年(1782)8月19日、伝助さんは獄門に処せられました。転宗を迫る役人たちに、伝助さんは、自分の信心は阿弥陀如来の側からのもので、伝助一存の計らいではありません。いかなる力をもってしても、すてようがありません、と従容として刑に服します。享年60歳の時でした。
伝助さんの殉教は、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人が説かれる「阿弥陀如来より賜りたる信心」の「他力念仏」の姿そのものです。

2012年7月21日(土)
淨教寺夏休み仏教子ども会を開催して、
今、子どもたちに伝えたいこと

TVのニュースでは今、大津市のいじめ事件のことが毎日放送されています。とても悲しいことですね。
加害者である、いじめている子が、相手のことをもっと思って、「いじめられている子も、尊い、かけがえのない命を生きているのだ」という、相手を思いやる心をしっかりと持たなくてはなりません。
ものが豊かになって、「自分の思い通りになる」「自分一人で何でもできる」と錯覚して、思い上がってしまっているのです。

昨年11月に、ブータンの若きワンチュク国王ご夫妻が来日したことを覚えていますか?
その時に東日本大震災で被災した福島の小学校で「龍」の話をされました。知っている子どもたちもいると思いますが、紹介します。

ブータン国王のことば

皆さんは、龍を見たことがありますか?
私はあります。王妃もありますね。
龍は何を食べて大きくなるのか知っていますか?
龍は、経験を食べて大きく成長していくのですよ。
私たち一人ひとりの中に「人格」という名の龍が存在しているのです。
その龍は、年を取り、経験を食べるほど、強く、大きくなっていきます。
人は、経験を糧にして、強くなることができるのです。
そして何よりも大切なことは、自分の龍を鍛えて、きちんとコントロールすることです。
この「龍」の話を、私がブータンの子どもにする時には、同時に、「自分の龍を大切に養いなさい、鍛練しなさい」と、いうことを言っています。
わがままを抑えることや、感情をコントロールして生きることが大切なのです。

と、語りかけられました。素晴らしい内容だと思います。
みなさんの人格を磨く、夏休みにして下さい。たくさんの貴重な体験をして、自分の「龍」を鍛え、成長させてください。
そのためには、毎日の積み重ねが大事だと思います。
まずは、「あいさつ」(「オ・ア・シ・ス」おはようございます、ありがとうございます、しつれいします、すみません)「お手伝い」「お家の方のお話や、経験を聞く」ということを心がけてほしいと思います。

2012年08月01日 法話
pagetop