迎春
新年あけましておめでとうございます。
親鸞聖人750回大遠忌法要が4月から勤修されます。
ぜひ、このご勝縁にご参詣いただきたいと念じております。
今年は、うさぎ年です。うさぎといえば、ジャータカ物語(おしゃかさまの前生でご苦労された尊いお話)の「月のうさぎ」を思い出します。そのあらましは以下のようです。
むかし、むかし、あるところにウサギとサルとキツネが仲よく住んでいました。あるとき、力尽きて倒れている 年老いた旅人に出会いました。三匹は旅人を助けようと考え、食べものを集めることにしました。
サルは木の実を集め、キツネは川から魚を捕ってきました。しかし、ウサギはどんなに苦労しても何も取ってくることができませんでした。
そこで、何とか旅人を助けたいと考えたウサギは、火を焚いてもらい、そこに自らの身を投げいれて食べてもらうことにしました。
その姿を見た旅人は、帝釈天に姿を変えて、ウサギの捨て身の慈悲行をほめたたえ、その行為が世界中に 知れ渡るように月にウサギの姿を描いたということです。
そして、このウサギこそがおしゃかさまの前生の姿だったのです。
イラストは、「卯」の字をウサギに見立てて、「月のうさぎ」の慈悲の精神を仏教の四無量心(慈・悲・喜・捨)としてこころがけさせていただこうという思いから描かせていただきました。
四無量心の慈・悲・喜・捨とは、
「慈」はいつくしみ。楽を与えること。
「悲」はあわれみ。苦を抜くこと。
「喜」はよろこび。ねたまないこと。
「捨」は平らかな心。差別を捨て、財を捨てて平等に利することです。
非常に難しいことです。
親鸞聖人は、『一念多念文意』に、「凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころ多くひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと水火二河のたとえにあらわれたり。」と、煩悩の深さを見つめていかれました。
それなるが故にまた親鸞聖人は、『正像末和讃』に「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし」と、この生まれ難き人間に生まれ、聞き難き仏教を聞かせていただき、遇い難き阿弥陀さまの慈悲の光りに出遇わせていただいて、阿弥陀さまのはたらきによって、お慈悲を讃嘆し、自らのいたらぬ姿に気づかせていただき、慚愧させていただく身にお育てをいただいていることに感謝されていかれました。
そのご縁をいただいた私たちも「自信教人信(自ら信じ、人を教えて信ぜしむる)」の道を一層力強く歩ませていただかなければもったいないことであると思います。
*学生時代(替え歌)
坊守
コーラス・コールピュアランドが荒井敦子先生のもとにはじめられて、この4月で3年目に入ります。毎月1回の練習ですが、毎回仏教讃歌を住職の解説を通して聞かせてもらい、阿弥陀さまのお慈悲を感じ、ご法味を汲みとらせていただいています。また、荒井先生のパワーあふれるトークに考えさせられ、知らず知らずに引き込まれ、堂内笑いいっぱいで、大きな歌の力をもらっています。ぜひ、みなさまも見学においで下さい。
昨年11月の練習でペギー葉山さんの歌われた「学生時代」を練習しました。
♪♪ つたのからまる チャペルで いのりをささげた日 ・・・♪♪
練習しながら、本堂で歌うにはチョッと・・・・?
そうそう、浄土真宗の宗門校である京都女子学園で「学生時代」の替え歌があったことを思い出し、さっそく調べてみました。
それが以下のものです。そしてそれを見て、住職が作ったのが淨教寺バージョンです。
口ずさんでみて下さい。
*京都女子高校3年生体育祭 バージョン
女坂(おんなざか)を登(のぼ)って 通(かよ)ったあの朝(あさ)
ねむいひとみをこすって 歌(うた)った恩徳讃(おんどくさん)
あの美(うつく)しいメロディ 東山(ひがしやま)に響(ひび)き
若(わか)い力(ちから)をぶつけて 過(す)ごしたあの日々(ひび)
帰(かえ)り道(みち) 消(き)える夕日(ゆうひ) この坂道(さかみち)忘(わす)れない
いつまでも 輝(かがや)け 心(こころ)の学園(がくえん)
いつまでも 輝(かがや)け 心(こころ)の学園(がくえん)
*淨教寺 バージョン
みほとけさまのまなざし しずかにほほえまれ
わたくしのこころのうち 照(て)らし出(だ)してくれる
しずかに手(て)のひら合(あ)わせ うやまいのこころで
お正信偈(しょうしんげ) ご文章(ぶんしょう) おつとめのときを
なもあみだ なもあみだ なもあみだぶつ となえつつ
お慈悲(じひ)に 生(い)かされる 尊(とうと)い 日々(ひび)を
お慈悲(じひ)に 生(い)かされる 尊(とうと)い 日々(ひび)を