親鸞聖人750回大遠忌お待ち受け法要

平成22年3月4日大阪城ホールにて奈良、大阪、京都、兵庫、滋賀、和歌山6教区合同の親鸞聖人750回大遠忌お待ち受け法要が開催された。約1万人のご門徒の方々が参詣された。その中でのご門主様のご挨拶をご紹介いたします。

 

ご門主さまのお言葉

お待ち受けということは、大遠忌の前にまず私たち一人一人が心がまえを考えよう。お待ち受け出来る心を養っていこうということであろうと思います。
そのためには、親鸞聖人が何を私たちに残して下さったか、それを私たち一人一人がどのように受け止めるかということが肝要であると思います。
言葉で表せば、「本願を信じ、念仏申せば仏になる」「阿弥陀さまの限りないお慈悲のはたらきである南無阿弥陀仏を信じてお念仏申す人生を歩ませていただく」ということでありましょう。
具体的に私たちの日々の暮らしの上で味わってみます時、まず根本はいのちの問題です。何もあてにならない世の中にあって自分自身すら本当の意味ではあてにならない人間であると気づかされる時、阿弥陀さまのお慈悲をいただくことの大切さ、すばらしさが味あわれます。何か困難に出合った時、つらい時には阿弥陀さまのお慈悲の中に支えられている思いを新たにして、省みるゆとりが、あるいは立ち直っていくきっかけが得られることでありましょう。
取り立てて大きな出来事が無い平凡に過ぎゆくときにあっては、身近な出来事一つ一つに何か意味があるであろう。そこに私を励まし、支えて下さる大切な意味を見出してめぐみをよろこぶということが出来ると思います。また広く社会の問題を考えます時、生きるか死ぬかの困難をかかえた人々や戦争で死に直面している人が世界各地にいることを思うと、ただ穏やかな暮らしを感謝するだけでは半分大事なことが欠けていると思います。こうしたことに気づかせていただき広く人々と共に歩むことのできる世の中をお念仏申しつつ精一杯歩みたいと思います。
「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」と願っておられる親鸞聖人のおこころに少しでもそうような日々を暮らしたいと思います。

 

指のたとえ

2010年3月16日淨教寺会館春季彼岸会 巌水法乗先生 ご法話より

中程の指を三本折っていただき、親指と小指を天井に向けてまっすぐ伸ばしてみてください。中の三本は広げずにくっつけて見てください。
親指の手のひらの部分はどちらを向いているでしょうか?小指の方を向いていますね!
では、小指は親指の方を向いていますか?向いていませんね。これを何というのでしょう?「親の心、子知らず」と言うのです。これ本当ですよ。
親のことは気になります。横目でも見ています。しかしながら三日ぐらいの病気で寝込んだ場合はちゃんと世話もしてくれるでしょうが、三ヶ月寝たらなかなか難しくなります。医者の払いはどうするんだ?とかたらい回しになりますよ。3年も寝たらどうなるか?言わなくてもわかるでしょう。
それでも親は子どもの方しか見ていません。一人前になっても、家庭を持っても、子どものことが気になる。仲よくしてくれよ。孫を可愛がってくれよ。と言ってものを送ったり、おこづかいを渡すのが親なのです。
中程の指は子どもたちなのです。人差し指と中指が向かい合うでしょうか。薬指と中指が向かい合うでしょうか?小指もそうですが向かい合いませんよね。向かい合うようでしたらお医者さんで指を見てもらわないといけません。ところが親指だけはどの指であっても正面に向かいます。
『教行信証』信巻に出てまいります。七人の子供がいて、親の愛情は子どもに七分の一ずつか?違います。七人全員に100パーセントの愛情です。しかし、一人病気の子供が出たら、親はその病気の子供にかかりきりになります。では、後の六人はほったらかしかといったらそんなことはありません。
「本当につらい思いは親がして、うまい思いはただで子にやる。」の世界ですよ。親だけですよ、子どもに正面からきちっと向き合えるのは。
要は親指が阿弥陀さまです。親の願いが子どもに向かってきちっと届いているのです。届いているのだけれど、その願いを一心に受けているこの私はどこを向いているのか?阿弥陀さんの方を向いているか?向いていないのです。
どれほどのご苦労を阿弥陀さまがしていただいているかということがお分かりいただけるでしょう。

 

2010年04月01日 法話
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